小正月です。酒樽屋の手帳も新しいものに替わっております。
去年はカナダのPaperblanksでしたが、今年はフィレンツェノートことCIAKを選びました。
手帳は慣れた物を毎年使うべきだという事は判っているのですが、
一年間持ち続ける物ですし、ついつい珍しいものを見つけると手を出してしまいます。
新しいフォーマットの手帳に慣れるまで数日かかりました。
殊にCHAKは来年版まで日本語表記がないのと文字が小さくてインクが薄いので、
年齢を選ぶかもしれません。
赤黒は単なるノートと間違って買ってしまったので、仕方なくダイアリーを探しに行ったら白黒も良かったので、二種ある訳です。
実はPaperblanksは昨年、アフガニスタン絨毯支援に協力した関係で別に未使用が2冊もあるのです。
どなたか必要ありませんか。
いくら良い物でも今年の手帳を何冊も持っていても仕方ありませんからね。

酒樽(たる)の周囲に竹の箍(たが)を巻いて締め付ける工程ですが、
いつもうまく行くとは限りません。
竹(輪竹とも謂います)の素性が悪いと、時には丸く巻けない事もあります。
こういう状態を職人達は「樽(たる)が笑う」と呼んで蔑視するので、
笑われた職人は面倒でも竹を巻き直さざるを得ない訳です。
こういう習慣が自然と技術向上に結び付いて行ったのでしょう。
秋の銀色三連休の日曜日。皆さんいかが御過ごしでしょう。
新潟では恒例となった新潟総踊りが目出度く10周年記念となりました。
わざわざ樽屋竹十まで来て下さり太鼓演奏の実演まで披露して下さり、
又、その後は何度も試作品を作っては先生の厳しい試し打ちに適わず、
失敗も繰り返しながらの10年でした。
佐藤さん、鼓山先生、スタッフの方々、ボランティアの皆様、お疲れさまでした。
これからも宜しく御願いします。
にいがた総踊りの樽太鼓の叩き方は樽を潰すという程の迫力ですから、
それに耐えられるように特別に強靭に作っているのです。
最初の頃は単純に蓋や側を厚くすれば良いと勘違いした事もありました。
いくつもの樽太鼓に水を容れて見たりもしました。
側は厚くしましたけれど蓋と底は薄い板を使い、
タガを強く締めれば良い音が出る訳です。
但し、傷み方が早いので、「樽砧」専用のような木製タル太鼓です。
昨年は新潟まで4トントラックで出かけたのですが、ニアミスでした。
今年は別のところへ行くので亦々勇姿を拝見出来ません。
師匠の永島鼓山氏です
祭りの使用後に戻って来た「樽砧」用の樽太鼓ですが、側面が数カ所も破れていて、
その叩き様の激しさを想像することが出来ます。
但し、木製樽としては修理、再生は不可能です。
どの程度の傷み具合かを知りたかったので、参考までに返送してもらった樽です。
最近は、側面に少し厚い杉板を使って少しでも長持ちするように変更してみました。
吉野川の清流を前に樽丸の仕上げ作業をする山本さん。
「銑(せん)」という特殊な刃物を使って、割った杉の裏と表の厚みを揃え、
木のねじれを修正していきます。
本日、白露。
周囲全てが杉だらけの自然環境は鎮静作用があって何より心地良いものですが、
川上村も襲った、この度の台風12号の脅威は「自然」が持つ優しさの裏側に隠れた
恐ろしさという二面性を思い知らされました。
よく切れる刃物の大鋸屑(おがくず)は着火材や防臭材にもなるのです。
ミカン割りした吉野杉を丸みの付いた鉈(なた)と大槌を使い、
全てを6分(2センチ弱)の厚さに割ります。
木目が切れては樽丸にはならないので、決して製材機は使用しませんし、
素性の良い吉野杉ですと、手で割る方が簡単に良質の樽丸が出来ます。
30秒〜50秒くらいの所が「甲付(こうつき)」を割っている所。
外側に赤味が出ては「背抜け」になり、内側に白太が出ると「甲付」にはなりません。
ほり出した一番外側は「箸」の材料に、最も内側は、昔は底や木栓の材料にしましたが、
今では、もっぱら燃料となります。
この作業をしているY氏の作業場が今回の台風で土砂に埋まってしまいました。
今も復旧作業中ですが、何とか元のように戻って仕事が出来る様になってもらいたいものです。
大型台風が吉野杉の産地、紀伊半島を直撃。
しかも低速で居座ったために普段から日本一雨量が多い地域なのに、
未曾有の雨が続いたために山崩れが多発しました。
メディアでは余り報道されていませんけれど、
吉野杉の川上村でも命に関わる被害こそ出ておりませんが、
家屋の被害は多発していて、
「たるや竹十」用の樽丸を作っている工場も土砂に埋もれてしまいました。
現在も復旧作業中です。
写真は初夏の台風による被害で、倒れて来た杉が狭い林道をふさぎ、
乗用車は勿論、軽四も四駆も通行不能でした。
今回の豪雨は、この比ではありません。
未だ,雨が続く模様で予断は許されないのです。
写真に見える建物は村役場、森林組合などの村の中枢部。
村の中心を通る国道が通行止めのため、現在は他の場所に仮設移動の由。
「水」は人間にとって最も重要な物質ですが、同時に最も危険な存在である事を、
再認識させられました。東日本大震災に於いても同様です。
皮肉な事に今、最も必要とされている物が又、「水」なのです。
神戸でも阪神淡路大震災の折、一番必要とされた物は電気やガスより「水」でした。
九月、長月になりました。
写真は東南アジア(主にタイ)やカリブ海(主にジャマイカ)で大変普及しているお菓子です。
たいそう美味しいのに何故か日本では、余り見る機会がありません。
唯一、香辛料としてインド料理用などにペースト状で輸入されているだけのようです。
この お菓子は枝豆の兄貴分のようなタマリンド豆を甘く炊いて、
アプリコットパウダーをまぶしたものです。
見かけは美味しそうではありませんし、
問題は中から出て来る種が、まるで石のように固いのです。(手前の黒い粒)
下手をすると歯を折るくらいの固さなので、
神経質な日本人向きではありません。これが原因で輸入しないのでしょうか。
実際に食べた時も何故、石が混入しているのかなと不審に思った程なのです。
酒樽屋は酒樽ばかり作っている訳ではありません。
菰(こも)ばかり巻いているという状態は緊急事態だったからだけです。
普段は定期的に奈良県南部の吉野地方へ出かけます。
底にも蓋にも化学的接着剤を使わず、全ての材料を吉野杉で作っている樽屋竹十では、
常に良質の材料を定期的に確保するため、吉野地方の中でも酒樽に最適な杉を植林している、
川上村とその加工作業をしている麓の
吉野町上市へ、しばしば出かけます。
日本で一番、雨が多い山岳地域だからか神戸と比べて涼しいと感じた事はありません。
それでも昔に比べると道路も良くなって、気軽に日帰り出来るようになりました。
下の写真は見事に人口植林された吉野杉です。
これから何十年先が楽しみです。
普段から工場内はスギダラケ、杉に囲まれて仕事をしていますが、
さすが現地の杉林に出かけると本物の森林浴。
明らかに気持ちがリフレッシュして帰ってまいります。
忙しい合間に、随分前から予約を受けていた木製樽太鼓を、
最も検疫の厳しいオーストラリアへ発送しました。
9月のコンクールに間に合わなければ意味がないのです。
海外発送は全て空輸なので、国内と同じように
翌日か翌々日には現地に到着しているのですが、
通関に何週間もかかることが多いので、
湿気の多い日本から乾燥した欧米などに送る場合は
木製樽が乾いてしまわないか心配なのです。
予定よりも大きめの木製樽を作ってしまったので、
海外発送の料金が樽太鼓代に近くなってしまい、
大量の切手が必要になってしまいました。
もう少し軽い段ボールを使えば良かった。
EMSだから、まだ安い方なのです。
約20分で師匠の模範が完了しました。
見事な菰巻きの酒樽です。
指が入らないくらい固く縛っていますが、
力をかけるのは要所だけで、あとは案外軽く作業します。
本気で巻けば、もっと早い筈です。
出来上がった時には、思わず周囲の生徒達から歓声と拍手が。
心なしか暑さも和らいで来た気も致します。
本日は処暑なり。収穫期でもあります。
偶然ながら、同じ日が油の日でもあります。
かつて大山崎で長い木を使って油を搾る技術を考案した日だそうです。
旧歴だから、年によっては8月20日になったりもします。
写真は1000年以上前に九州から分かれて建立された離宮八幡宮で、
油の神様にされています。
写真の関大明神は摂津の国と山城の国の境で関所があった名残です。
また、この北側に「大筑波集」で有名な山崎宗艦の旧宅跡の碑が建っておます。
宗艦はここ山崎の竹を伐って京まで油を売りに行っていたといいます。
当時の油は荏胡麻油で、最近ではコレステロールが少ないよいう理由から、
食用として脚光をあびていますが、
昔は灘の菜種油と同様に行灯等を灯すために照明に用いられていました。
かつては樽屋竹十も、この付近の竹と右京区鳴滝の竹だけを使用しておりましたが、
今は伐採禁止になったので、六甲山の裏手の竹林へ伐りに行っています。
この付近一帯、現在はサントリーの蒸留所や大山崎山荘すなわち旧加賀正太郎邸、
後のアサヒビールの祖、山本為三郎邸の美術館をはじめ、
美術館に登る途中に建つ藤井厚二の聴竹庵や妙喜庵、待庵など、
風光明媚の故か新旧名建築が残っています。
宵毎に都を出づる油売り ふけてのみ見る山崎の月 宗艦
七十一番 職人歌合せ
宙に浮く程、たくさんの四斗樽が樽屋の前に並んでおります。
一度使用した酒樽を一空樽(いちあきだる)と呼びます。
かつては大手の蔵元が一度使った樽を「樽屋竹十」が手直しして、
中小の造り酒屋へ納められて、リユースされていた訳です。
最近、また一空樽の流通が活発になってきて、中古の酒樽を廉価にて
提供出来るようになりました。
買い取って来たままの現状渡しが一番安くいのですが、傷みも早くなります。
よく樽を乾燥させてから、竹のタガを層替えすれば新品同様になりますけれど、
それなりの価格になってしまいます。
アルコールがしみ込んで,灰汁抜きも完了している訳ですから、
当日から漬物や味噌をつくる事が出来るという即戦力と価格が魅力です。
殆どの木製の杉樽にはマダケ(真竹)を割って、削り「輪竹」という物を作り、
これを周囲に巻くというより、編むに近い「結う」という工程を経て竹箍(タガ)をこしらえます。
ただ、夏の時期には竹を伐るべきではなく、既に去年の冬に薮から伐り出して来た竹を使います。
この一年分の大量の竹の管理が容易ではなく、日に当てて褪色させたり、硬化させてもいけないし、さりとて大事に奥の方へ仕舞い込むとカビが発生したり、腐ったりします。
写真の竹は質が悪くなって結う折や締める際に切れてしまった破片の山です。
これも知人のイタリア人の手に渡り、別の用途に使われます。
竹は油分を多量に含んでいるので燃やすと相当な高温になりますが、直ぐに消えてしまいます。
震災以降、東北の桶屋さんが休業あるいは廃業せざるを得なくなったので、
従来の御客様以外に北日本からの木製樽の注文も受け入れる状況が続き、一ヶ月以上も
blogの更新が出来ませんでした。
樽が完成しても輸送が不可能で、地震から約100日後の今頃ようやく輸送状態も元に戻って来ました。
出来上がった杉樽をトラックが動くまで大量に保管しておく事にも苦慮致しました。
西瓜の美味しい夏であります。昔のように切らずに丸ごと売っている店も少なくなりましたし、家族も少なくなり、井戸のある家も珍しく、冷蔵庫に入れるにも限度がありますが、
西瓜はやはり、切売りより真ん丸の方が風情があります。
酒樽屋も今日から短い盆休みです。
金色の 仏壇のある 海の家 小澤 實
巻き上がった菰巻きの酒樽を輸送用に更にビニール袋で包み、
三ツ輪掛けという簡易梱包を施し中身の酒の種類と製造期日を表示した荷札を付けて、
ようやく出荷出来ます。
古い写真はヒガシマル醤油のコモ巻き風景ですが、こういう形態の荷造りを「裸荷」といい、
先に何度か紹介しましたコモ巻きの方法は「本荷(ほんに)」といいます。
その中間に「仮巻(かりまき)」という無印の薄い菰を簡単に巻く方式もありましたが、
現在は殆ど見られなくなりました。
このあたりの区別が混乱しているので、今のうちに整理しておかねばなりません。
殊に最近はあらかじめ蓋を抜いた酒樽の需要が増え、
鏡(酒樽の蓋)が見えるような昔はなかった特殊な巻き方などもあり尚更です。
巻いている酒樽の向こう側に少し見える完成品には、前述のような不安定な巻き方の際に、
菰を安定させる為に、更に一本黒い紐を結んで輸送中に菰がずれないように留意しました。
この紐はちなみに「豆樽(まめだる)」という一升や二升の小さな樽の菰巻きに使うビニール縄です。
「豆樽」の中身はガラス瓶、あるいはプラスチックです。かつては白磁の焼物でした。
菰をほどいても決して木製樽が出て来る事はありません。
大暑であります。暑い筈です。
この日は本来の藁による菰(こも)ではなく、ビニール菰(通称PP)を使いました。
本物の菰は長くて良質の物が手に入りにくくなり、
残念ながら、太い縄が途中で足らなくなり、急遽別の縄を繫いだので少々変です。
日を改めて正式な動画を公開します。
前回の一斗樽と違い、これは四斗樽なので、酒が入ると100kg近くになり、
大暑のような時期に四斗樽の注文がある事は稀ですが、酒樽最盛期の真冬でも、
クーラーを付けて、シャツ一枚になっても、まだ汗まみれという程の重作業なのです。
こも巻きと言えば、酒樽のそれより松の害虫駆除の方が知名度が高いのですが、
木の幹に菰を巻く古くから続く風習には余り効果がないことが最近判ってきたようです。
酒樽を完全に菰(こも)で包んで、形を整えます。
本来は酒樽と菰の間に藁(わら)を入れて丸い形をつくったのですが、
最近は発砲スチロールの型を入れるので誰が巻いても同じように出来上がります。
蓋の部分は「口かがり縄」を使って編み込みます。
目出たさを表すために象亀甲模様に仕上げなければなりません。
菰(こも)、薦(こも)とも書きます。
元々はマコモを使っていましたが、現在では藁(わら)を編んだ物を用いております。
吉野杉で作った一斗木製樽を菰(こも)で巻いてあったのですが、
菰は本来、灘から江戸へ酒樽を樽廻船で運ぶ際に樽と樽が直接当たらないようにする為の
緩衝剤だったのですが、せっかく青竹と川上村の吉野杉で出来た酒樽を藁(わら)で隠すのは忍びないので、
ハレの席では菰を解いて中の杉樽を見せて下さらないと酒樽屋としては、
杉樽を丁寧につくる甲斐がないというものです。
酒樽屋から歩いて行ける美術館で「カンディンスキーと青騎士展」が開催されていたのは夙に知っていていましたが、
知人たちが遠くから早々に観に来ているのに酒樽屋は近所過ぎるのと、
何度行っても迷子になる奇妙な美術館であることも手伝って、出かけるのは何時も会期終盤になってしまいます。
一枚のKleeの小品だけが異質でした。
会場にはSchoenbergが流れておりました。
tel:078-861-8717
