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美 アーカイブ

2006年04月29日

樽屋 ホイットニー美術館コレクションを観に行く

一ヶ月以上前から開催されていて、行く機会がなかった同展に合間をぬって行って参りました。
20世紀のアメリカ美術を語る時に外せないのが、ここを創設したガートリュート・ヴェンダービルト・ホイットニー(1875~1942)と後継者の娘と孫です。

ポスターになっているロイ・リキテンスタインの「窓辺の少女・・・」の印刷点描を更に網をかけてオフセット印刷すると何故か意味が無くなってしまう様な気がします。
プレスリーを描いたアンディ・ウォホールの作品も画集などではなく、実物を見ないとその迫力を理解することは出来ません。

さるにても、展覧会を観ながら居眠りをしてしまったのはこの催しが初めてです。

問題の兵庫県立美術館にて5月14日(日)まで

出口前に展示されていた、バスキアの「自画像」と「LNAPRK」の二点

2006年06月23日

美酒、美人、そして美林

美しき物、三つ揃えば、尚、麗しきもの。

そり返る壁の色紙やつゆの人  永井荷風

2006年12月03日

山本六三 銅版画挿画と本の世界

山本六三さんの展覧会が京都でありました。
「ろくさん」が亡くなってから、もう五年になります。
没後初の展覧会でした。

関西の会場は氏と縁の深い「湯川書房」。
東京では昨年、啓祐堂ギャラリーで開催されています。

清酒党の山本六三さんは僕にとって銅版画の先輩であり、十代の頃は渡邊一考氏(彼も十代でした)と共に、文藝に関して計り知れない薫陶を受けた方です。
一度、「竹十」の樽酒を呑んでもらいたかったと悔やまれます。

当時、近所に住んでいた事から、よくアトリエに遊びに行って僕の絵を見てもらったりしていました。
いつも帰り際に、辻潤の「ですぺら」、吉田一穂の「海の聖母」、マラルメの「骰子一擲」・・・・・・・・・・・
と次々と知らない書物を見せてくれて、今度来るまでに、それを読んでおくようにと貸してくれるのです。
実存主義やヌーヴォーロマンに、どっぷりだった生意気盛りの若造には全てが衝撃的でした。

山本六三さんは「生活など家来に任せておけ」というリラダンの言葉を忠実に実践した方で、死ぬまで、一度も働いたことはありません。そんな時間があれば絵を一枚でも、書物を一冊でも、映画を一編でも観ろと忠言されました。見事な生涯です。
凡人が容易に真似の出来る事ではありません。

写真は亡くなられた翌年の2002年11月3日、山本六三さんのアトリエで
形見分けを兼ねて仲間たちが整理をした時の引出しの中。
使うことを拒否しているように見えるほど、きれいに整理されています。
愛用のビュランが数本見えますが、手入ればかりして殆ど使っていませんでした。

大月雄二郎、アルフォンス井上、山下陽子、戸田勝久、福永凋花、奢覇都館の広政かをる、元かわほり堂、現臥遊堂主人・野村竜夫、故山本芳樹等15名余(敬称略)が集まっての整理でした。

「たるや竹十」主人と幼なじみの大月雄二郎はパリから久々の帰国。
みんなが帰ったあと、二人で話し込んでいるうちに朝になってしまいました。
彼も山本六三さんから若い頃、数知れない影響を受けています。
大月雄二郎も僕も、兄貴分「ろくさん」に多大な迷惑をかけた一人でもあるのですが…

のちに彼は本当に「ろくさん」の義弟になりました。

このアトリエは、その後、解体されて消えてしまいました。

投稿者 diva : 08:06 | コメント (0)

2007年02月28日

酒屋のポスターには、よく酒樽が出てきます

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造り酒屋の昔のポスターには美人と酒樽がよく出てきますが、
お酒だけではなく、百貨店(当時は呉服屋)やサイダーのポスターにも美人が出てきます。

この画像は北野恒富によるサクラビールのポスター

姫路市立美術館で、3月25日まで「大正レトロ 昭和モダン ポスター展ー印刷と広告の文化史ー」が催されています。

2007年06月23日

酒樽屋 若冲に駆けつける

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待ち時間三時間と聞かされて、二の足を踏んでいた、京都相國寺での若冲展最終日に友人M君、酒樽職人H君を誘って行ってきました。
今回の開催は承天閣という寺院内の美術館でしたが、行列も境内だと気分も少し楽です。

百二十年の封印を解かれた若冲は妖しくも壮観。
お軸というものは美術館で見るものではなく、床の間や寺院で拝見するものだと再認識。

相國寺を辞してなお、伊藤若冲さんの世界から去りがたく、皆で祇園まで散歩することにしました。道案内は樽屋の女房です。

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川面を見つめながら瞑想にふける、三人の哲学者。
哲学の道から、南禅寺のお屋敷町を抜けて、祇園へ。

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お土産は偶然たるや竹十と創業が同じ(文政二年)の祇園饅頭

右から二番目は「水無月」

京都では一年のちょうど折り返しにあたる六月末に、この半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事「夏越祓(なごしのはらえ)」が行われます。

この「夏越祓」に用いられるのが、六月の和菓子の代表ともいうべき「水無月」です。水無月は白の外郎生地に小豆をのせ、三角形に切られた菓子ですが、それぞれに意味がこめられています。水無月の上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれています。

その左ふたつ棒状の物は名物「しんこ」 茶色い方はニッキ味。

右端は迷っていた僕達に地元の粋なおねえさまが「おいしおすえ」と御推薦のニッキ餅。
左端が、みそあん入り柏餅。全部美味しい。

京都市東山区四条通り大橋東詰  075-561-2719

2007年11月01日

山本六三の展覧会

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10月29日(月)~11月10日(日)
スパン アート ギャラリー SAg
東京都中央区銀座2-2-18 西欧ビル一階
03-5524-3060

樽屋(たるや)も行きたいのですが、忙しい時期になってしまい、残念ながら見に行けないのです。

来月、このSAgで内藤ルネさんの「お別れの会」があります。

2008年06月10日

ドイツの樽屋その2

CAVEN.jpg Au Pigall's

ファスビンダーの命日です。
ライナー ヴェルナー ファスビンダー1982年6月10日、37歳で急死しました。
FASSBINDERとは南ドイツやオーストリアで「樽屋」という意味なので親近感を覚えます。

写真は、そのファスビンダーの妻でもあった女優イングリット カーフェン。
彼女は優れた歌手でもあり、現在はパリに在住。
来年は主演オペラがベルリンで上演予定。

現在の夫であるJean-Jacques Schuhlが、ずばり[INGRID CAVEN]という小説を上梓。
2000年のゴンクールを受賞。
原書はフランス語ですが、ドイツ語や英語が頻繁に出て来てきます。(時々イタリア語も)
いきなりエピグラフに[Ich weiss nicht was soll es bedeuten]というChristian Johann Heinrich Heineの「ローレライ」の一節と
Heinrich von Kleistの「優雅は人形あるいは神にもっとも純粋なかたちであらわれる」が出てきて面喰らいます。
もっとも、樽屋は原書では読めません。
訳本は新潮社から出ています。

 FASSBINDERの映画はアテネフランセの映画祭ドイツ文化センターで上映予定です。

2008年09月24日

川瀬巴水展はじまる

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鏑木清方の弟子、川瀬巴水(はすい)展が没後50年ということで大田区立郷土博物館に続き、姫路市立美術館 で開催されております。


前期9月21日から10月13日
後期10月15日から11月3日(250点を展示するので、入れ替えの由)


画像は代表作「尾州 瀬戸」昭和九年作

没後50年といえば、巴水の二年後に亡くなった永井荷風先生。清方にもゆかりがある訳ですが、種々企画が進んでいるようです。

2008年10月02日

「赤い風船」または「純粋な心臓」

080326_ballonrouge_main.jpg © Copyright Films Montsouris 1956


赤い空の次は赤い風船です。
酒樽屋の女房は、この映画が大変お気に入りで,この夏 早起きして映画館に出掛けて行きました。
樽屋の親方は未だ劇場では観ておりません。
樽(たる)にも「赤い樽」と「白い樽」の二種があるのですが,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,


パスカル少年のような純潔な心の持ち主だけが「そら」に上って行くことが出来るのでしょうし、上って行かざるを得ないのでしょう。

LE BALOON ROUGE全編
かつて、「すばらしき風船旅行」と共にVHSがあったのですが、今は廃盤。
フランス版は25€で「白い馬」とカップリングして発売中ですけれど、
今年の12月12日には、日本版もデジタルニューマスターでリリース予定,もう少し我慢しましょう。
こちらは特典ディスク:ドキュメンタリー「僕のお父さんは風船だった」51分 『白い馬』の少年のポートレイト43分、ピクチャーブック、5枚組ポストカードセット、『赤い風船』コマフィルムと豪華おまけ付きですから。
50年代ならではのシィトローエン11CVやマファックのセンタープルブレーキを装着したロードレーサー、後部屋根なしバス等が古き良き時代のパリ風景を彩っています。
風船を持った少年が、そのバスに乗車を拒否されるシーンが大切な何かを象徴しています。

サイドバーの赤い風船をクリックして下さい

2009年05月11日

酒樽(タル)屋が観に行った映画

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「メイプルソープとコレクター」という邦題ですが、原題は[BLACK WHITE+ GRAY]
これでは何の事か判らないので、こんな風に訳したのでしょう。
アメリカでの副題も「メイプルソープとワグスタッフの肖像」。

樽(タル)屋の女房が行くと言うので、期待せずに一緒に行ったら、思いのほか秀作でした。
「完璧の瞬間」Perfect momentを追求したメイプルソープ(1946-1989)の写真が目当てで、観に行くと意外な内容に驚きます。

彼が死んでから20年も経つのですね。
主人公は彼のパトロンであり、恋人であった、SAM WAGSTAFFなのです。
それを、ふたりの間にいたひげ面のPATTI SMITHたちが語るというドキュメンタリーです。

二人は同じ11月4日生まれ。当時のN,Y,で活躍していたウォホール等と共に多くのアーティスト同様、共にHIVにより死去。
現在だったら、もう少し治療方法が進歩しているので、死に至るまでにはならなかったでしょう。

Mappelethorpeの写真がモノクローム中心である事や、Wagstaffが1964年に企画した[Black,White and Gray]という展覧会の名称も関係あるでしょうが、BLACKやGRAYには「お金」という意味が隠されているに違いありません。

元になった資料は
_パトリシア・モリズローの著作、監督はジェイムス・クランプ

2009年05月25日

酒樽屋の友人の個展 梅木英治展

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樽屋の古い友人、梅木英治君の個展が京都、寺町のライト商会の二階でありました。
またまた、最終日に出かけたのですが、必ずいる筈の本人がいつもの様にいない。

大作の油彩、見事でした。
仕方がないのでライト商会一階店舗を見ていたら、かいちの絵葉書のデッドストックが大量に、しかも一枚200円!
裏面も戦前の風合いに経年の黄ばみ、ただ紙質が..............

お店の女性に訊いても「よく判らない」という返事。
近所の有名な土産物屋さんの件もあるので、もしやと思いじっくり見ると、やはり精巧に作られた復刻版。
冷静に見たら大きさが違う。

その足でアスタルテ書房に立ち寄り、この話をすると佐々木君も前夜、同じ思いをした由。
昨年、京都の大学で展覧会をした折の複製品を更にプリントしたのではないかと言う結論。
そんな、掘り出し物が地元京都にある訳ないですよね。

2009年09月03日

李白と酒樽

800px-Libai_shangyangtai.jpg北京 故宮博物院(旧紫禁城)蔵

前有一樽酒行二首其二 李白

李白の雑言古詩に詠ふ。

 「前に一樽の酒有るの行(うた)」

  琴奏龍門之綠桐  琴は奏す 龍門の綠桐
  玉壺美酒清若空  玉壺の美酒 清きこと空の若し
  催弦拂柱與君飲  弦を催し柱を拂って君と飲む
  看朱成碧顏始紅  朱を看て碧と成し顏始めて紅なり
  胡姫貌如花     胡姫は貌(かんばせ)花の如く
  當壚笑春風     壚に當たりて春風に笑ふ
  笑春風 舞羅衣   春風に笑ひ 羅衣を舞はしむ
  君今不醉欲安歸  君今醉はずして安(いづく)にか歸らんと欲する
 
李白は杜甫に「李白一斗詩百篇」と「飲中八仙」の中で詠はれる程の酒好きで有名ですが、
当時の一斗は現在の約18,039.......リットルより遥かに少なかったそうで、
一斗樽詩百篇ではなかった訳です。
李白に限らず、漢詩に度々出て来る「樽」は酒を象徴した謂いで、
よく「金樽」とか「一樽」とか詠まれていますが、「一壷」と同じ意味でしょう。
同じく、杜甫が李白を詠んだ詩。ここにも「一樽」が出て来ます。

 
 春日憶李白 
   白也詩無敵         白や詩敵無し
   飄然思不群         飄然として思ひ群せず
   清新愈開府         清新なるは愈開府
   俊逸鮑参軍         俊逸なるは鮑参軍
   渭北春天樹         渭北 春天の樹
   江東日暮雲         江東日暮の雲
   何時一樽酒         何れの時か一樽の酒
   重與細論文         重ねて与に細かに文を論ぜん

ところで、「李白」という銘柄の清酒がありますが、島根県松江市の蔵元が醸造しているものです。

2009年09月08日

江戸の世に遊ぶための小さな道具 煎茶器 

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樽屋竹十が創業された文政二年とは柏木如亭が亡くなった年でもあり、
菊池三渓が生まれた年でもあります。
漢詩や煎茶が盛期をむかえていた時期です。
文人墨客へ対する、造り酒屋の旦那さん達の援助がなければ成り立たなかった世界でもありました。
酒樽屋の親方たちも当時は、その末席に位置していたようです。

旦那衆のなかでも代表的な人物が大阪の木村蒹葭堂
伊丹の岡田利兵衛です。両者共に造り酒屋を営んでおりました。
旦那衆はこのような席を文化的な社交の場とみなし、当時の文人達を自宅に逗留させたり、
書画を買い上げたりしつつ自宅を解放し知的サロンを開催して、
情報交換を兼ねながら自身の文化的レベルを高めていきました。
現在では残念ながら、そのような粋を極めようとする老舗の旦那衆が少なくなくなりました。
前述の木村家、岡田家ともに現在は酒造を営んでおりません。

明石市立文化博物館で「兵庫の陶磁 煎茶の器」という展覧会があります。
8月29日から9月27日まで
兵庫県の陶磁器、すなわち珉平や三田を中心に京焼も含めた展示。
チラシの紫泥大茶罐は黄檗山萬福寺所蔵の宣興窯。高さが12センチ以上あります。まさに「ヤカン」ですね。

2009年09月15日

幻の夜行列車、またはブルーノートの頂点

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1957年の9月15日、ジョン・コルトレーンブルーノート社長、アルフレッド・ライオンの要請で「ブルートレイン」を録音します。
コルトレーン31歳、リー・モーガンがトランペット、ポール・チェンバースのベース、そしてピアノにケニー・ドリューという豪華メンバー。
今から50年以上も前の話なのですね。
ブルーノートで唯一のコルトレーンなのに一番人気のある定盤です。
昨年紹介した、マイルスの字幕入別テイクが評判良かったので、
第二弾も遅まきまがら紹介しておきます。

BLUE TRAIN TAKE7

蛇足ながらブルーノートだから、ブルー トレインかと思っていたら、
ブルーノートのブルーはブルーズのブルーだそうです。
巷では一夜にして売り切れたビートルズのリマスター版BOXの話題で持ち切りですが、
コルトレーンにも初回限定CDがあり、こちらは2枚組で20万円!!!


2009年10月23日

ルドルフ二世の酒樽

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アルチンボルドが2点(1点は工房作)来ています。(上の酒樽の絵は不出展)
だまし絵」11月3日まで

兵庫県立美術館

〒651-0073
神戸市中央区脇浜海岸通1丁目1番1号[HAT神戸内]
TEL:078(262)0901

2010年10月09日

酒樽屋が、ことのほか贔屓の小村雪岱 展

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雪岱ゆかりの「泉鏡花記念館」に於いて、
「小村雪岱 幻影の美を描く」と題す特別展が開催中。

十月の前期、11月の後期とで作品が入れ替わります。

同館所蔵の生田コレクションの装丁画を中心に、先に開催していた、埼玉県立美術館蔵の版画が加わります。

没後七十年ということで、若い頃に勤めていた資生堂のミュージアムからはじまり、
雑誌の特集や展覧会が続いて、どれも人気を博しましたが、金澤で一旦終了ということでしょうか。
酒樽屋の親方は丁度、家業が忙しくなる時期なので、出かける事が出来ないのが残念です。


雪岱という雅号は鏡花の命名。
雪岱の著作『日本橋檜物町』所収「泉鏡花先生のこと」を読むと
鏡花と雪岱の深い関係が良く判ります。


 「私が泉鏡花先生に初めてお眼にかかったのは、今から三十二、三年前の二十一歳の時でした。丁度、久保猪之吉氏が学会で九州から上京され、駿河台の宿屋に泊っておられ、豊国の描いた日本で最初に鼻茸を手術した人の肖像を写すことを依頼されて、その宿屋に毎日私が通っている時に、鏡花先生御夫妻が遊びに見えられて、お逢いしたのでした。
 久保氏夫人よりえさんは、落合直文門下の閨秀歌人として知られた方で、娘時代から鏡花先生の愛読者であった関係から親交があったのです。
 当時、鏡花先生は三十五、六歳ですでに文運隆々たる時代であり、たしか「白鷺」執筆中と思いましたが、二十八、九歳の美しいすず子夫人を伴って御出になった時、白面の画工に過ぎなかった私は、この有名な芸術家にお逢い出来たことをどんなに感激したかわかりませんでした。その時の印象としては、色の白い、小さな、綺麗な方だということでした。爾来今日に至るまで、先生の知遇をかたじけなくする動機となったわけです。
 鏡花先生は、その私生活においては、大変に人と違ったところが多かったようにいわれておりますが、私などあまりに近くいたものには、それほどとも思われませんでした。何故ならば、先生の生活はすべて先生流の論理から割り出された、いわゆる泉流の主観に貫かれたもので、それを承るとまことに当然なことと合点されるのです。即ち人や世間に対しても、先生自身の一つの動かし難い個性というか、何かしら強味を持っておられた人で、天才肌の芸術家という一つの雰囲気で、凡てを蔽っておられました。その点偏狭とも見られるところもありましたが、妥協の出来ない人でした。しかしその故にこそ、文壇生活四十余年の間、終始一貫いわゆる鏡花調文学で押し通すことの出来たわけでもあり、文壇の時流から超然として、吾関せず焉の態度を堅持し得られたものと思われます。
 先生が生物(なまもの)を食べないということは有名な話ですが、これは若い時に腸を悪くされて、四、五年のあいだ粥ばかりで過ごされたことが動機であって、その時の習慣と、節制、用心が生物禁断という厳重な戒律となり、それが神経的な激しい嫌悪にまでなってしまったのだと承りました。
 大体に潔癖な方ですから、生物を食べなくなってからの先生は、如何なる例外もなく良く煮た物しか召し上がらなかった。刺身、酢の物などは、もってのほかのことであり、お吸物の中に柚子の一端、青物の一切が落としてあっても食べられない。大根おろしなども非常にお好きなのだそうですが、生が怖くて茹でて食べるといった風であり、果物なども煮ない限りは一切口にされませんでした。
 先生の熱燗はこうした生物嫌いの結果ですが、そのお燗の熱いのなんのって、私共が手に持ってお酌が出来るような熱さでは勿論駄目で、煮たぎったようなのをチビリチビリとやられました。
 自分の傍に鉄瓶がチンチンとたぎっていないと不安で気が落着かないという先生の性分も、この生物恐怖性の結果かも知れません。
 生物以外に形の悪いもの、性の知れないものは食べられませんでした。シャコ、エビ、タコ等は虫か魚か分らないような不気味なものだといって、怖気をふるっておられました。ところが一度ある会で大変良い機嫌に酔われまして、といっても先生は酒は好きですが二本くらいですっかり酔払ってしまわれる良い酒でしたが、どう間違われてか、眼の前のタコをむしゃむしゃ食べてしまわれました。それを発見して私は非常に吃驚しましたが、そのことを翌日私の所へ見えられた折に話しをしましたら、先生はさすがに顔色を変えられて、「そういえば手巾にタコの疣がついていたから変だとは思ったが——」といってられるうちに、腹が痛くなって来たと家へ帰ってしまわれた。まさか昨晩のタコが今になって腹を痛くしたのではないでしょうが、私はとんだことをいったものだと後悔しました。
 またある時、先日なくなられた岡田三郎助さんの招待で、支那料理を御馳走になったことがありました。小さな丸い揚げ物が大変に美味しく、鏡花先生も相当召し上がられたのですが、後でそれが蛙と聞いて先生はびっくりし、懐中から手ばなしたことのない宝丹を一袋全部、あわてて飲み下して、「とんだことをした」と、蒼くなっておられた時のことも今に忘れません。
 好んで召し上がられたものは、野菜、豆腐、小魚などのよく煮たものでした。
 食物の潔癖に次いで先生の出不精もよくいわれますが、これは一つには犬を大変怖がられたためもありました。もし噛みつかれて狂犬病になり、四ッん這いでワンワンなんていう病気にでもなっては大変だということからの恐怖ですが、それだけに狂犬病については医者もおよばないくらいに良く調べて知っておられました。犬の怖い先生は歩いては殆ど外出されず、そのために一々車を呼んで出歩かれました。
 雷と船も大変嫌がられましたが、これも神経的に冒険や危険に近づくことを警戒される結果と思われます。
 神仏に対する尊敬の念の厚かったことは、生来からと思われますが、神社仏閣の前では常に土下座をされて礼拝されました。私などお伴をして歩いている時に、社の前で突然土下座をされるので、先生を何度踏みつけようとしたか知れませんでした。宮城前ではどんなに乱酔されていても、昔からこの礼を忘れられたことはなく、まことにその敬虔な御様子には頭が下がりました。
 師の尾崎紅葉先生に対しても、全く神様と同様に絶対の尊敬と服従で奉仕されたそうで、三十年来、お宅の床の間には紅葉先生の写真を飾ってお供物を欠かされませんでした。
 世間では鏡花先生のを大変江戸趣味人のように思っているようですが、なるほど着物などは奥さんの趣味でしょうか、大変粋でしたが、決して「吹き流し」といった江戸ッ児風の気象ではなく、あくまで鏡花流の我の強いところがありました。
 趣味としては兎の玩具を集めておられて、これを聞いて方々から頂かれる物も多く、大変な数でした。
 お仕事は殆ど毛筆で、机の上に香を焚かれ、時々筆の穂先に香の薫りをしみ込ませては原稿を書かれていたと聞きます。
 さすがに文人だけに文字を大切にされたことは、想像以上で、どんなつまらぬ事柄でも文字の印刷してある物は絶対に粗末に出来ない性質で、御はしと刷ってある箸の袋でも捨てられず、奥さんが全部丁重に保存しておられたようで、時々は小さな物は燃やしておられました。誰でも良くやる指先で、こんな字ですと畳の上などに書きますと、後を手で消す真似をしておかないといかんと仰言るのです。ですから先生の色紙なども数は非常に少なく、雑誌社に送った原稿なども、校正と同時に自分の手元においてお返しにならなかったように聞いております。
 煙草は子供のころからの大好物だそうで、常に水府を煙管で喫っておられました。映画なども昔はよく行かれたそうですが、煙草が喫えなくなってからは、不自由なために行かれなくなりました。
 御著書の装幀は、私も相当やらせて頂きました。最初は大正元年ごろでしたが、千章館で『日本橋』を出版される時で、私にとっては最初の装幀でした。その後春陽堂からの物は大抵やらせて頂きましたが、中々に註文の難しい方で、大体濃い色はお嫌いで、茶とか鼠の色は使えませんでした。
 このように自己というものを常にしっかり持った名人肌の芸術家でしたが、神経質の反面、大変愛嬌のあった方で、その温かさが人間鏡花として掬めども尽きぬ滋味を持っておられたのでした。
 同じ事柄でも先生の口からいわれると非常に面白く味深く聞かれ、その点は座談の大家でもありました。
 ともかく明治、大正、昭和と三代に亘って文豪としての名声を輝かされた方ですから、すべての生活動作が凡人のわれわれにはうかがい知れない深い思慮と倫理から出た事柄で、たといそれが先生の独断的な理窟であっても、決して出鱈目ではなかったのでした。
 あの香り高い先生の文章とともに、あくまで清澄に、強靭に生き抜かれた先生の芸術家としての一生は、まことに天才の名にそむかぬものでありました。」


 

2010年12月31日

酒樽屋(さかだるや)の「おおつごもり」

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鳶鴉図 北村美術館蔵 重要文化財

本年も数多くの御注文、お問い合わせ、忝く存じます。
全ての樽(たる)が受注製作のため、なにかと不手際もございましたでしょうが、
全国、各国の皆様に喜んで頂けた様子、何よりの幸せでございます。
来年も精進致します故、御贔屓のほど謹んで御願い申し上げます。

偶然ながら、画像の如き雪の大晦日になりました。
更に寒さが厳しくなるとの予報です。御自愛の程をお祈り申し上げます。

与謝蕪村は天明三年(1789年)十二月二十五日に六十八歳で仏光寺烏丸西入にて死去と言われていますが、
本日、大晦日が命日という説もあり。


親不孝 おおつごもりも うろうろと 蕪村

2011年01月09日

酒樽屋 中国書画の世界へ

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昨日から京都国立博物館「筆墨精神」なる展覧会が開催中。
村山龍平(号、香雪)と共に朝日新聞の創始者の一人である上野理一氏(有竹齋)のコレクションが中核となっています。
蒐集には常に内藤湖南が監修にあたったので、中国文人の美的感覚に依拠しつつ、
主に明清の書画を中心に系統立て、非常に高いレヴェルの特色あるものとなっています。

上野理一の長男精一氏の妻、故梅子さんは又の名を菊野秋子といい、琴の演者として夙に著名。
子爵九鬼隆義の長女ですから、中島棕隠と姻戚関係にある訳です。

2月20日まで

2011年06月26日

酒樽屋 「青騎士」へ駆けつける

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酒樽屋から歩いて行ける美術館で「カンディンスキーと青騎士展」が開催されていたのは夙に知っていていましたが、
知人たちが遠くから早々に観に来ているのに酒樽屋は近所過ぎるのと、
何度行っても迷子になる奇妙な美術館であることも手伝って、出かけるのは何時も会期終盤になってしまいます。
一枚のKleeの小品だけが異質でした。
会場にはSchoenbergが流れておりました。

たるや 竹十

  • たるや 竹十



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