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桶 アーカイブ

2007年06月20日

樽屋、リーメントに一本負け !

本日は「樽屋のおやかた」に代わりまして、樽屋の女房がエントリーさせていただきます。
みなさま、どうぞ、よろしくお願いいたします。

さて、早速でございますが、我が家は割合にミニチュアが好きで、先日も樽屋の女房がこのようなものを購入してまいりました。
ひょんなことから知った食玩、リーメントです。
一見、本物の手巻き寿司と見紛うばかり・・・
本当に良くできていますよね。
大皿の真ん中には わさびまであります。
手巻きの海老なんて、その身の透明感に思わず見入ってしまうほど・・

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ご存知の方もいらっしゃるでしょうけれど、この食玩は一応ガムのオマケ、として付いているもので、グリコのオマケのように、箱を開けるまで何が入っているか、分らないのです。で、スパゲティセットが欲しかった私は手巻き寿司セットだったので少々ガッカリしていたのですが、おやかたが「さすが、樽屋の女房 、 いいのが当たったな。このスシ桶はよくできてる !」と申します。続けて「竹でよく木の感じが出せたなぁ、このスシ桶」

ええっ〜そんな筈ないよ、竹なんて。いくら中国製でも価格的にそれは無理。プラスチックじゃないの?!-----と樽屋の女房。
しげしげと眺めていた樽屋のおやかた、ためつすがめつ、「いいや、これは竹でできてる」。
拡大鏡を持ち出して観察後・・・しばし、沈黙。

ついに「プラスティックだぁ。よう、樽屋を騙したな。大したものだ。」

リーメントさん、一本勝ち。恐れ入りました!

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一抱えほどあるスシ桶は、もちろん、「たるや竹十」謹製の吉野杉です。

本日は たいへん失礼いたしました。

2007年07月20日

酒樽屋の近くにある大桶

%E5%A4%A7%E6%A1%B6.JPG沢の鶴資料館にて


たるや竹十」の前にある資料館で展示されている大桶です。
30石桶ともいい、酒造関連では一番大きい桶です。
何人もの人間が入るほど大きい。
直径が2m30cm、深さ1m95cm
容量6336ℓ、即ち一升瓶で3520本分。
先日紹介した「つけもの」という保育社の文庫本の表紙になった物はこれでしょう。

今ではこれらの杉製大桶は大変貴重です。

昭和30年代半ばから、40年代にかけて、全国の日本酒の蔵元は、これらの大桶をどんどん廃棄し、
琺瑯(ほうろう)やステンレス桶に替えていきました。
そして、中古の大桶は醤油業者、味噌業者あるいは漬物業者が使っていました。

最近になって、その価値に気がついた蔵元は大桶を探していますが、もう手遅れかもしれません。
新品を作るとなると現在では数百万円程かかってしまいます。
箍(たが)に使う竹も酒樽より長い物が必要なので、竹の時期の良い冬に準備しておく必要があります。
大桶製作は三人一組でないと出来ないので、少なくなっていく職人の事を考えれば新しくあつらえるのも、増々困難になって来ています。


最近、桶の保存会も出来、再評価されてきました。


tsunemine-2.JPG名人、故常峰巌師匠の工房前での桶輪替風景


「たるや竹十」でも、明治期には大桶を作っていたものです。

2008年09月08日

結納の日に、床の間に酒樽が

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かつて、結納の日には必ず縁起物の「角樽(つのだる)」を持参したものです。
今回は、ある企画のカタログ制作に「角樽」が必要になり、「たるや竹十」に昔からあった、漆塗りの「角樽」を提供しました。
本来、対になっているもので、二つなければいけないのですが、いくら探しても一つしか見つかりませんでした。

但し、「角樽」とは「樽(たる)」という名前はついておりますが、これは桶師の仕事です。
また、樽に漆を塗る目的は意匠上、朱と黒に塗り分ける意味と強度を増す利点の二つがありますが、多くの場合、中身の樽の材料の悪さを隠す目的にも使われました。

本当に良質の樽や桶は生地のまま作り、材料の色目の美しさを楽しむものです。
酒樽(さかだる)に菰(こも)を巻いて中身の樽の品質の悪さを隠す行為に似ています。

残念ながら、最近目にする「角樽」は99%が人工樹脂製で、木樽(たる)ではありません。

2008年10月13日

大桶の中に棲みたかった人

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大きな樽(正確には桶の範疇になるのですが)を茶室にしたりする人はよくいますが、その中に棲んでみようと思う人は余りおりません。
小説家の佐藤春夫は、この事を具体的に考えていて、九尺桶(高さ約3m)を知り合いの蔵元から入手する手配をしていたと語っております。
探偵小説雑誌「宝石」の昭和32年10月号に当時主幹だった城昌幸(城左門)の計らいで、編集に参加していた江戸川乱歩と鼎談しております。

一般的に大桶をそのような目的に使う場合は縦置きににするのですが、他人と同じ事をするのが嫌いな佐藤春夫は四坪ほどの敷地に桶を横置きにして、中に床を張り窓を開け片方にソファーベッドを、反対側はフリースペースにするというレイアウトを城昌幸と乱歩に語っております。
決して民芸調にならないように注意して洋風に仕立てたかったようで、設置する場所も山里などではなく、都会の真ん中を物色していました。
母屋から毎日、パンと水とチーズを運ばせるという我がままも考えていました。
眠れない夜の為に望遠鏡を備えておき、高台から街を眺めて夜の慰みにするという趣向です。

その庵には、もう「犬儒亭」と命名されていた程、本気だったようです。
名前は勿論、ギリシャの哲学者Diogenesディオゲネスに因んでいます。
ディオゲネスこそ酒樽の中に棲んでいたことで有名ですが、彼の生きた紀元前400〜300年には未だ今のような木製の酒樽は洋樽においても存在していなかった筈で、実際には酒を入れていたカメか大壷の中で暮らしていたはずです。


結局、佐藤春夫は都心に そのような贅沢な土地を入手できず、犬儒亭プロジェクトは頓挫しました。

何より大桶には酒樽(さかだる)と違って嵌め込みの蓋(ふた)がありませんから、佐藤春夫が望んでいた密室を作ろうと思えば、蓋(ふた)を打ち付けるかどうかして加工しなければなりません。

この鼎談は後年、講談社から「江戸川乱歩推理文庫 第64巻 書簡 対談 座談」に再録されましたが、この文庫本も絶版で入手困難。再販が望まれます。

DSC07038.JPG 神戸酒心館にて

2008年10月21日

大桶における杉と竹の妙

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写真は大桶ですが、酒だるでも同じ状態になります。
経年と共に吉野杉は冬目が立ち、夏目が縮み、美しい木目を見せて来ます。
吉野杉は、このように時間が経っても元の木目が秀でているので趣のある風景を醸し出してくれます。
竹は青竹から白味を帯び、更に年月を重ねると飴色になります。
この大桶は50年ほど前に作ったものですし、屋外に置いてあったので、組輪の竹は色褪せて来ています。
竹の退色は誰にも止める事は出来ません。
塗装したりラッカー仕上げや木工用ボンドを塗ったりする事は後年、酒樽や桶を
むしろ見苦しくしていまいますから、おすすめ出来ません。


2009年04月05日

酒樽屋 さる塔頭の桶を修理する

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京都、宇治の寺院から、寺の什器である桶の修理依頼がありました。
どの世界でも同じですが、他の職人がつくった物の修理ほど困難な作業はありません。
最初から新しい物をつくる方が楽です。
懇意にしている方を介しての依頼だったので、とにかく引き受けました。
先ず、清酒の蔵元から譲ってもらってきた、米の粉(精米の際に出ます。煎餅の材料になるという噂がありますが、「おかき」の原料に関しては不明。)
を水で溶いて「そっくい」という食べる事も出来る接着材をつくります。
「そくい」(続飯)が訛ったものでしょう。「そくいい」又は「そくい」とも呼びます。

「続飯」は米粒を箆(へら)で潰して練り上げたもので、「姫糊(ひめのり)」ともいいます。
また別に小麦粉から作られる「腐糊(くされのり)」と呼ばれる接着剤があります。
これは小麦粉を「寒の水(かんのみず)」に溶いて静置し沈殿した澱粉質を煮てから
甕(かめ)に入れ、土中に埋めて3年ほどで完成させたといいます。
腐糊は書物の装丁や掛軸の表装の際などに、続飯は家具や建具の木材接着に用いられてきました。
そのため日本では「糊着(こちゃく)」という呼び習わしがあります。

この前のバラバラの状態を撮影する事を忘れました。
側を元の順番に戻すために「タガ」の跡形を手がかりにパズルのような作業があったのです。
苦労して、元の順番に戻す事が出来ました。部材が一枚も欠損していなかったのが幸いです。
大概、一枚か二枚は欠けていて、その部分にだけ違う材料を持って来なければならないからです。
これが一番やっかいな作業になります。
それでも経年の乾燥により、側が若干やせて、少なくなっております。
この点は部材を増やす手法を避けて、底を小さく加工するという方法を選びました。


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残飯があれば、それを溶いておいて何でも昔はこれを糊の代用品として普通に使っておりました。
今回は急いでいたので省略し、ただ米粉を水で溶いただけなので少々「まだら」です。
充分な道具が揃わないので、接着が目的ではなくて、ただ組立て易ければ良く、とにかく隣同士の側が離れなければ良いだけですから、この程度で許してもらいました。
二つに割れていた、底も一枚に戻しました。

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樽や桶をつくる際は必ず、二本の仮輪が必要です。
口の仮輪は元々付いて来た古い竹の物を利用しましたが、
底には「竹十」が昔使っていた物を探し出して来て二人がかりで嵌め込みました。

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後は新しい竹タガを巻いてはめて行き、
長い時間が経って支障が来ている部分を丁寧に修正していきます。

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古い感じで時代感を出して欲しいという修理依頼だったので、敢えて最後の仕上げは施しませんでした。
はみ出した「そっくい」を拭き取るだけで出来上がりです。

この作業は樽屋の仕事ではなく、桶屋の仕事、桶屋の中でも「こんこん屋」の仕事で、
昔は、この種の桶の修理は全て断っておりましたが、
古い道具を分解してみると意外な発見があったり、
こんな手法があったのかという勉強になるので、なるべく引き受けるようにしております。
古い樽や桶は我々にとって最良の教科書なのです。
部材が揃っていたこともあるので修理費用は格安にしました。
桶屋は樽屋以上に減って来ているので、修理の依頼先がなく
「竹十」が引き受けざるを得なくなっているのも現実です。

2009年05月05日

酒樽屋、寿司桶を修理する

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隣町にあるお寺の住職さんが痛んだ寿司反切(はんぎり)を持って来られました。
切れた竹の輪を替えるためです。

少し前まで、どこの町にも「輪替屋」という職人が定期的にやってきて、このような、
作業を低価格で請け負ってくれたものです。
最近は、自転車に乗った豆腐屋さんや魚屋さんも見かけなくなりました。

2009年05月27日

酒樽(たる)屋の蔵から、昔つくった樽(たる)や桶(おけ)が色々出て来る

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これは水を運ぶための「桶(おけ)」です。
よく混同されるのですが、樽(タル)ではありません。
かつて、一対の桶(オケ)を天秤棒にぶらさげて、よく川や海に水を汲みに行ったものです。

戦後すぐの物資不足の時代には樽の材料を供給してくれている奈良県吉野郡方面へ
御礼の意味を込めて大量の「肥桶」も送っていたそうです。

何にせよ液体の輸送といえば、かつては何をおいても、樽(タル)と桶(オケ)だったのです。
各デパートのワンフロアが桶類ばかりという時代もあったことが古い写真集等を見ていると判ります。

産湯を使う盥(たらい)から棺桶に入るまで、
かつて、ひとの人生は桶(オケ)に始まり、
桶(オケ)で終わるという木製容器人生だったのです。
生きている間も「おひつ」に入った御飯を食べ、木の浴槽に木の風呂桶を持って入り、
醤油、酢、酒等は全て酒屋へ通って樽(タル)から少しずつ出して来て暮らす毎日でした。

昭和の終わりにプラスチック製品が登場した事により、一気に桶(オケ)樽(タル)は
市場から姿を消しました。
確かに木製樽はメンテナンスが面倒です。化学製品は、その点は楽ですし安価です。
でも、愛情が生まれる道具じゃありません。

写真の桶(オケ)も下部の箍(タガ)が傷んでいます。
昔だったら、前にも紹介した「輪替屋」が修理してくれたものです。
そういえば、穴が空いてしまった鍋を修理する「鋳掛屋(いかけや)」さんも見掛けなくなりました。
ラオのすげかえ屋(キセルの修理屋)なんて、とっくに消えた風物ですね。

日本にも、最近まで道具を修理しながら、大切に使うという立派な文化が残っていたのですが、
化学製品の出現と同時に「安い物を気軽に買って、使い終わったら捨てる」という傾向に一気に変わってしまいました。

ようやく、環境の問題も含めて、木製の道具の良さを再認識して下さる方々が増えて来ましたが、
少々、遅かったのです。
たくさんの職人たちが持っていた優れた技術の伝承が間に合いませんでした。
今では、桶(おけ)屋の仕事も樽(タル)屋が代りに受け継がざるを得ませんし、
それが樽(タル)屋の使命だと考えております。
世話のやける木製樽(タル)ですが、使えば使う程、かわいくなってくるものです。

2009年12月03日

酒樽屋 平山郁夫美術館へ足湯桶を送る

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作日、お亡くなりになった平山郁夫氏の生地である生口島に建つ同氏の美術館からの依頼で、「足湯桶」を10個作りました。
一昨日UPした「ハンダルセット」を改造して「桶もどき」を作りました。
何回ものメールや電話のやりとりの後、足場桶を納品し、係の方々にたいへん気に入って頂いた直後に急逝されました。
平山氏は療養中だったとのことで、御元気になって鎌倉から生口島(いくちじま)へ帰られた折には、この「足油桶」を使って頂こうと話していた矢先でしたので酒樽屋もたいへん驚きました。

生口島は尾道から今治へ和樽長い橋の途中にあり、そのしまなみ海道を自転車で和樽のが恒例になっています。その途中で生口島で皆さんに休息してもらおうという訳です。


2010年06月27日

修理に持ち込まれた年代物の「手桶」

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山口県の某氏から「手桶」の修理を依頼されました。
蔵の奥から出て来た、という桶です。
これほど傷んだ桶(おけ)が、はるばる長州から分解もせずに届いたことも奇跡的ですが、
なにより、これほど悪い状態の桶(おけ)が現存している事の方が珍しいのです。

類推するに製作されたのは明治の中頃、昭和の初めに手の部分を取り替えた形跡があります。
この時の竹の質が悪かったようです。
その後は非常に悪い環境に保管されていた模様で、上部は完全に乾燥、下部は過度の湿り方。
普通は、ここまで傷んだ樽(たる)や桶(おけ)の修理は、お断りするのですが、
伝来の愛着あるものだということと、「落とし」を入れるという条件だったので、
期限無しで引き受けました。


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ご覧の様に、無数の虫穴があいている上に、本体の一部に欠損している箇所もありますが、
これを風景として生かす事にしました。
現在は乾燥中です。更に変形した底が水平に戻らないと修理を始める事が出来ません。
完成のあかつきには、また報告致します。

たるや 竹十

  • たるや 竹十



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