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2010年08月 アーカイブ

2010年08月07日

元気のない和樽(たる)組合

DSC09565.JPG中古のウヰスキィ樽の再利用

気が付いたら、「立秋」ですが、本格的な暑さはこれからでしょうね。

和服と洋服があるように、樽(たる)にも和樽(たる)と洋樽(たる)の二種があります。
基本的な製造工程が似ている点などは書きはじめると長くなるので、又の機会に譲ります。

和服は本来、「着物」と呼ぶべきで、明治維新前後に西洋から彼の地の衣服が到来した頃、ふたつを区別するために作られた急造日本語で、繊維業界では「和服」が定着してしまいましたが、
樽(たる)の場合は、樽(たる)そのものを目にする機会も近年減って来たからでしょう。
「和樽(わだる)」という変な日本語は死語になりつつあり、「樽(たる)」と呼ぶだけで、
吉野杉の樽(たる)を示すように本来の呼び方に戻って来ました。

日本には、かつて全国各地に「和樽組合」という団体が組織されました。
酒樽(さかだる)を酒造メーカーに納める際に、その価格の改訂を蔵元側と折衝したり、
(戦前は醤油メーカーと樽の価格相談もありました)
「樽職人労働組合」との賃上げ交渉、「輪竹製造組合」との価格相談、吉野の「樽丸組合」と材料の価格を調整する際等に、その窓口になっておりました。

大手酒造メーカーが強い影響力を持っていたので、一軒ずつの交渉は受けてもらえず「和樽(わだる)組合」が全ての窓口になっていたのです。
明治の半ば灘五郷とその周辺の樽関係の業者が集まって「灘五郷酒樽製造業者組合」を組織しました。
今は、「兵庫県和樽工業組合」と改称されております。
しかし最近20年ばかりは「酒樽(たる)」の価格改定の機会もなく、和樽(たる)組合も親睦団体化してきた上に組合員も年々減少してきましたので、現在では「和樽組合」は名ばかりになっております。
他の業界でも「組合」という形態そのものが弱っていますが、少なくなっていく和樽(たる)を今も作っている樽屋業界の場合は「樽屋(たるや)竹十」の灘五郷周辺地域だけで、日本中に残っているほぼ10軒の樽屋のうち約半数を占めているのが現状ですから、全国組織にする等、仕入れや販売面で協力して、なんらかの形で「和樽(たる)組合」が元気を取り戻す努力をしなければ、と思っております。

将来は「和樽」という妙な日本語は排除して、堂々と「樽(たる)」の組合に戻すべきですし、「日本酒」という卑下した謂いも徐々に改善して行きたいものです。

2010年08月08日

酒樽屋のお八つ  その參拾壱 マドレーヌ

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マドレーヌを頂いたので、菩提樹の茶を淹れました。
食べ物や飲み物の記憶は遠い思い出を鮮明に喚起させてくれるものです。
お茶に浸したマドレーヌを口に含んだ主人公が過去を呼び覚ます、
マルセル・プルーストの代表作を思わせるレシピが何点も写真入りで再現されている右側の書籍
PROUST LA CUISINE RETROUVEE [Editions du Chêne 1991]
樽屋の女房の愛蔵書の一冊です。

もしかしたら「深夜食堂」のバターライスや赤いソーセージと同じ感覚なのかも知れません。


LEMON DROP
東京都武蔵野市吉祥寺本町1−2−8レモンビル1階
0422-22-9681
営業時間/10:30~22:30
定休日/年中無休(年末年始を除く)

2010年08月09日

樽太鼓(たるたいこ)修理が続く

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夏休みに入ってから、から次々と持ち込まれる樽太鼓(たるたいこ)の蓋(ふた)を新品に取り替え、
傷んでいる竹箍(タガ)6本〜7本も殆どを新しいものに入れ替えて強度を持たせ、
外観は勿論、なによりも楽器として良い音が出るものに再生していきます。
作業した職人自身もどちらが新品か区別がつかないほど綺麗に再生出来ます。

「たるや竹十」が作った樽太鼓(たるたいこ)でしたら、手持ちの道具で比較的簡単に作業出来ますが、
昔の(時には昭和30年代の物ではないかと思われるヴィンテージものも送られて来て、
驚き、懐かしくなります)樽太鼓(たるたいこ)は他の職人さんが作られたものですから、
使用した道具の寸法が全く違うので修理に少々手間取ります。

修理は基本的に新品の半額代金を頂いておりますが、新品を作る方が簡単なので、
新品ないし修理の費用を少し改訂しなければならないかも知れません。

2010年08月10日

樽太鼓(たるたいこ)の修理が完了する

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先日、預かっていた、たくさんの「樽太鼓(たるたいこ)」の修理が出来上がりました。
木製の樽太鼓(たるたいこ)は他の締太鼓宮太鼓同様、激しく叩くため、当然ながら、
蓋(ふた)の部分が摩滅して、薄くなり、ささくれて来ます。
いくら,丁寧に保管しても、3年〜5年で木樽(たる)も乾燥して来るので補修が必須となります。
緩んだ竹箍(たが)を金釘で止めたり、木工用接着剤を塗ったりしても音は良くなりません。
修理の手間が余分にかかるだけです。(これらを取り除くだけで随分時間がかかります)
一番に避けて頂きたい事はプールなどの水の中に木樽(きたる)全体を投げ込んだり、
ホースを使って大量の水を木樽(きたる)にかけたりする事です。

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接着剤を多用した古い樽太鼓(たるたいこ)、
決して音が良くなる訳ではないので、勘違いなさらないようにお願いします。
修理の際には、強力な接着剤が塗られている場合は修理が不可能になったり、
接着剤の剥離と釘抜きに手間取ります。

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今回の木樽(きたる)は元は某有名蔵元の一空樽(One free barre)が主で、「甲付樽』でした。
酒樽(さかだる)と太鼓樽(たいこだる)は形は同じでも構造や素材が全く違います。
呑み口の穴の埋木等も施しました。


一昔前、催しの直前に樽太鼓(たるたいこ)を倉庫から出してみたら、乾燥してしまい、
竹箍(たが)が緩んでしまった状態で音も出ず、困った先生が学校の水が満たされたプールの中に全部の樽太鼓(たるたいこ)を一晩投げ込んでしまったのです。
音は少し出るようにはなりましたが、木樽(きたる)は変形するし、
修理も無理な状態になるし、後々困ったことがあります。
この「プール投げ込み方式」は全国に普及してしまいました。
これを考案された先生は昨年亡くなられました。合掌…
水で変形していまった後の修理を任された樽屋としましては、
この間違って普及してしまった方式を払拭するために何年もかかりました。

最近は、新品の蓋(ふた)と箍(たが)に全て取り替えますので、
費用は新しい物の半額程度かかりますけれど、
写真のように新しい物と見分けが付かない仕上がりになります。

世間は夏休み、新学期の催しに向けて「樽屋竹十」には毎日程、
樽太鼓(たるたいこ)修理の依頼がまいります。弊店製作の樽(たる)以外に、
既に引退された樽職人達の名仕事を拝見する良い機会になりますから、
採算は合いませんけれど、出来る限りお引き受けするようにしております。

2010年08月11日

完成した木製樽(たる)の発送

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完成した様々な木製樽(たる)は、簡単に梱包して、紐で荷造りし各種宅急便や小さな樽(たる)や海外発送なら郵便局から発送します。
木製樽(たる)は丸い形をしていますから、荷造りは案外難しいものです。
長い間、菰巻きの練習をした御蔭で紐掛けが得意になりました。

「たるや竹十」は昔から、地元の灘五郷だけではなく、全国各地へ発送しておりましたから、
荷造りが苦にはなりません。
ただ、昔は梱包資材と言えば「菰(こも)」「荒縄」でしたが、
最近はエアキャップビニール紐になってしまい、いささか風情がありません。

時々、木製樽(たる)だけでなく、梱包が見事だとを褒めて頂くこともあり、困惑します。

木樽(たる)が届いたら、これらのビニール類は直ちに廃棄して下さい。
化学製品の中で木樽(きたる)が窒息し、今の様な季節ですと「黴」の原因となります。

2010年08月12日

江戸の漬物樽(たる)

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「四季漬物塩嘉言(しおかげん)」またの名を「漬物早指南」小田原屋主人著、天保七年刊

長らく稀覯本でしたが、最近はWEB上で本文だけは読む事が可能になりました。
これにより、容易に江戸時代の漬物を復元する事が出来ます。
当然、その時の容器は江戸時代と同じ製法に戻した「たるや竹十」の漬物樽です。
決してプラスチック容器を使わないようにお願いします。
江戸時代は杉樽(たる)そのものの通気性と自浄作用に頼り、
当然ながら、化学的保存料などは一切使っていなかったので、
予期しない変化が起こるかも知れませんから。

平安時代中期の「延喜式」に様々な漬物の記述が見えますが、
近世以降、漬物は種類が増え、江戸末期には容器として現在の漬物の樽(たる)の原型が完成しました。
この挿絵の頃は未だ、樽(たる)というよりも寸胴型の「桶(おけ)」に近いものです。

「肩陰によりて当座漬けの茄子に生醤油を掛けて、膳なしにひえ……….......」
井原西鶴の浮世草子『好色一代女』巻一、天和二年(1682

客が少ない遊女の粗末な食事を漬物(つけもの)にかけて表しています。

2010年08月13日

酒樽(たる)と水(みず)の関係

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清酒の成分に於いて水の占める割合は約八割にも達します。
作り酒屋は水を売って儲けているなどと陰口をたたかれた時期もありました。
確かに酒造りにおいて水は極めて重要な位置を占めております。
更に仕込水、割水などの原料用水だけでなく、洗米、浸漬、洗瓶などなど、
様々な用途に仕込水の約20~30倍もの水が使われています。
すなわち上質の水を大量に確保する必要がある訳です。
酒造原料に適した水とは、濁りや汚れがなく、美味しく、かつ量が豊潤なことは常識内の事項ですが、
酒に色をつけ、味を悪くしてしまう鉄分など、酒造りに於いての有害成分を含まないことが重要な条件となります。


灘、伏見、新潟、広島、山形、秋田など、銘醸地と呼ばれる地域には必ず良い水が豊富に湧いています。
「灘の生一本」として灘五郷の酒が今も全国で好まれているのも、六甲山系を水源とする豊富な良水に恵まれただけでなく、鉄分が非常に少ない酒造りに最適 な水、『宮水』の発見はまことに貴重な要因です。

写真は神戸のにしむら珈琲が店で使う為に「宮水」を運んでいるところ。
酒樽型のタンクに水を入れます。

2010年08月14日

酒樽屋の日和下駄 其の壱

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岩屋名所 松帆の浦」という説明を持つ絵葉書です。

昭和8年の消印から類推するに、台風で本殿の「敏馬(みぬめ)神社」が流された為の急拵えの祠ではないでしょうか。
「樽屋竹十」の中にあった「住吉神社」の親社です。
同じように江戸に向う樽廻船の航海の無事を祈りに出帆前の船は必ず、お祓いを受けました。
この付近は今でこそ前を国道が走り、海まで何キロも埋め立てられてしまいましたが、
古い資料によれば、かつて料理店35軒、お茶屋15軒、芸妓置屋15軒からなる、
福原、花隈に次ぐ狭斜の街だったのです。

蕪村が有名な「菜の花や月は東に日は西に」の連句を詠んだには、この地にあった、
料理旅館「井筒屋」の句会だと言われております。

「敏馬神社」という、この神社は地域では殊のほか重要な杜で、
樽屋の親方夫婦は祭事があれば、必ずお参りに出かけます。

「敏馬花街の由来記」1936年 によれば、元々漁港であり、夏は海水浴場として賑わったらしく、やって来る遊客を見込んで明治31年に前述の花街を建設した由。

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2010年08月15日

樽屋(たるや)の盆暮

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酒樽屋も盆休みを頂きました。

いつもは樽づくりの木槌の音が響いていますが、
誰もいない作業場は木樽の材料となる吉野杉が積まれているだけで、
真夏なのに、ひんやりしています。

静寂も今宵限り。明日はもう五山の送り火です。

2010年08月16日

酒樽屋(さかだるや)の息抜き

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お休みですから、酒樽味噌樽漬物樽樽太鼓、加えて夏に受注が集中するディスプレー用展示樽などなどから一切離れさせて頂き、散歩に出かけました。
阪神大震災の折に大きな被害を受け解体してしまった元の場所、神戸居留地京町25番に今春再建されたカフェ オリエンタルに出かけて、お茶を頂きました。
17階とはいえ、周囲に高層ビルが建ち並び、決して良い眺望とは言えません。
カフェの隣には旧居留地の設計者J.W.HARTの名を冠したレストランも併設されています。
ここでは再現された幻のオリエンタルホテルカレーを一日限定20食ながら供されます。


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オリエンタルホテルは初代が明治3年創業だそうですから、
第一代兵庫県知事伊藤博文中島棕隠の養子である第三代知事中島 錫胤(ますたね)らが赴任した1869年のすぐあとに旧居留地伊藤町79番に建てられ、
その後80番屋敷を買い取り増設。
この伊藤町と言う地名は伊藤博文に因んで命名された由。

明治40年(1907)海岸通6番にゲオルゲ・デ・ラランテの設計により新築。
残念ながら名建築だった、ここも焼失。その後87番を買収するも、これまた焼失。

カフェのプレートと、この絵葉書とは当時の海岸通の建物でしょう。


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その後、再建されたホテルも昭和20年(1945)空襲により焼失。
昭和39年(1964)に現在の京町25番に新築。
屋上の灯台が名物でした。

六甲山オリエンタルホテルや元町に阪神レストランオリエンタル、
オリエンタルホテル舞子ヴィラなど手広く経営を広げるも、
平成7年(1995)阪神大震災のため、解体。ながらく駐車場になっていましたが、先頃建て直されました。
のちに国内他企業や外資系企業に買収され、新神戸や西神戸、更に港湾地区に別のオリエンタルホテルが出来、
かつての優雅さは失われていまいましたが、今年再建された新しいホテルには、
数奇な運命をたどった名門ホテルの栄華を復活させようという企てが感じられます。

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〒650-0034
兵庫県神戸市中央区京町25
TEL:078-326-1577
受付時間:10時~23時

2010年08月17日

不思議な樽(たる)を修理する

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お盆の休みを利用して遠くから「樽(たる)」でも「桶(おけ)」でもない、
変わった木製容器が修理に持ち込まれました。
材料は板目と柾目が混在、底は樽用の物ですが、本体は寄せ集めながら桶の技法。
紐で補強され、崩壊寸前の状態で車に乗せられての入院です。

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数日後、少し古い竹箍(たが)を巻いて、再生しました。
本体は乾燥しきっていますし、蓋も無いために余り硬い箍(たが)を入れる訳にはいかないので、硬さの加減はちょっと慎重になりました。
使う時は「落とし」を入れるらしいので、安心して退院。

2010年08月18日

南宋の樽(たる)

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浙江省杭州市孩兒巷98號清代古宅的陸游紀念館に於いて


未尊
恨中
飄酒
零満
過身
此彊

尊中 酒満ち 身彊健ならば 
未だ恨まず 飄零して此の生を過ごすを
(枯骨閑人訳)

南宋詩人「陸游」の「成都書事」より

ここにある「尊」は「樽」と同義ですが、
この場合の「樽」ば、壷状の物を指し、また、時に酒そのものを意味する事もあります。

   陸游(1125-1210),字務觀,號放翁,南宋山陰人。12歲即能詩文,
   一生著述豐富,有《劍南詩稿》、《渭南文集》等數十種存世。陸
   游具有多方面文學才能,尤以詩的成就為最。自言“六十年間萬首 
   詩”,今尚存九千三百余首。其中許多詩篇抒寫了抗金殺敵的豪情
   和對敵人、賣國賊的仇恨,風格雄奇奔放,沉鬱悲壯,洋溢著強烈
   的愛國主義激情,在思想上、藝術上取得了卓越成就,在生前即有
   “小李白”之稱,不僅成為南宋一代詩壇領袖,而且在中國文學史
   上享有崇高地位,是我國偉大的愛國詩人。

 

2010年08月20日

酒樽(さかだる)の小さな大敵、虫喰い

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完璧に出来上がったと思った酒樽(たる)でも、極々稀に奇妙な所を見落として、
酒が洩れないという一番大切な条件を満たさない不良品が出来てしまう事があります。

この場合は、一番太い胴輪(地方によって、中の輪とも呼ぶ)の丁度下に小さな穴がある事を
発見出来ずに、仕上げてしまった悪い例です。
吉野杉は美味しい事もあってか、必ず表面は虫に食べられてしまいます。
ですから、白太(しらた)という一番外周部はもちろん、
そのすぐ内部の甲付(こうつき)には虫が通った跡が穴になって残っています。
蓋(ふた)も同じ部所から取るので、底よりも被害の率が高くなります。
写真の酒樽(さかだる)は赤味なので、殆ど虫の被害にはあわないだろうと油断しておりました。自然のものですから全てが工業製品のように同じ品質で揃える訳には行きません。
ひとつひとつの手作りですから、年に一度位の割合で、こんな見落としがあります。

硬く締め上げた、胴輪(どうわ)を緩めて下に降ろし、犯人の「穴」を見付けたら、
その部分を埋木して、胴輪(どうわ)を元の位置に戻したら、洩れは完全に止まります。


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この小さな、鉛筆の先の様な物は、いつもの様に事態と同じ呼び名で,
この高野槙(こうやまき)で作った木片も「虫喰い」と言います。
洋樽でも同じ事態が起こるらしく、Worm barrelと呼ぶそうです。
何か正確な呼称があった筈ですが、今のところ不詳。
樽職人の奥さんが内職でひとつずつ作っておりました。少しずつ大きさが違っていないと、
意味がないのです。
今も30年前も一升瓶に一杯入れて一万円位します。
一番左に一個だけ見えている物は、大きな節を埋木するためのものですが、今は殆ど使いません。

日本で一軒だけ専門業者がいますが、竹釘同様、樽職人が暇な時に作ったりもします。

2010年08月21日

特注のディスプレイ樽(たる)展示用樽(たる)

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樽(たる)は必ず、高さが3種類。一尺一寸(約34センチ)、一尺五寸(約45センチ)、一尺八寸(約55センチ)と最初から、決まった物です。昔は醤油樽(たる)用に九寸(約27センチ)の極小の物もありましたが、当時は一番長い一尺八寸の材料を半分に切っていたようです。
九寸の材料は後日、別の酒樽のために大量の需要があり、常に不足ぎみです。

最近は店舗のディスプレイ樽(たる)、(展示用)のために、三尺(約1メートル)のものも、
作る事が出来るようになりました。

今回は設置場所のスペースの制限から高さや幅を、お客さまが決めて来られたので、仕方なく既製の材料を切断して製作しました。

何よりも困ったのは青い竹ではなく、古く退色した竹タガに限るという指定で、
このために倉庫の隅々まで探しましたが、数量が足りるかどうか少々不安です。

時代の傾向でしょうか。最近は古色仕上げの依頼が目立ちます。
古い材料も「古材」として建築用としては入手が容易になりましたが、
樽用の古い材料は、そろそろ在庫が尽きそうです。
百年以上前の古い材料でも削るだけで簡単に新しくなりますけれど、
逆に新しい材料を古く見せるには様々な工夫を必要とします。

2010年08月24日

ツールドフランス観戦用ワインをディスプレー樽(たる)に

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今年のツールドフランスコンタドールの二連勝という結果で終わり、コンタドールもアスタナチームは今年限りになりました。
ヨーロッパの夏も終わりという雰囲気ですが、日本の残暑はこれからのような気配です。

店舗設計会社からの依頼で作った先日の物販用の売場樽(たる)の見本です。
乗せているワインは、「RN13」というピクニック用の微発泡性のワインです。

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RN13というのは国道13号線の略で、ツールでは毎年最後の第20ステージでパリのシャンゼリゼ通りをメインとしたコースを周回します。
そのシャンゼリゼに繋がるポルト・マイヨを起点として英仏海峡のシェルブールに至るのが、国道13号線なのです。

GAL__TDF_2010_DSC06052_GAL20.jpg ©aso/b

2010年08月25日

樽(たる)や樽丸(たるまる)が表紙に出ている本

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明治17年に発行された写真の通りの長い題の「案内書」です。
この中に往事の「樽屋竹十」が見開きで所収されていたので、ご案内したことがあります。

この垣貫與祐とういう人が何者であったのかは住所が大阪市曾根崎新地であった事以外、
詳らかではありませんが、
他に同時期に「豪商神兵 湊の魁」「商工技芸 浪華之魁 東西南北(垣貫一右衛門編)」を編集出版しています。
神戸相生町と大阪高麗橋の熊谷久榮堂(代表 熊谷 幸介)が売捌所になっています。
生見堂に関しては大阪である事以外未詳。

各地の店から宣伝料を取り、代金の多い店ほど大きく銅版画入で紹介した、
今の住宅地図の様な商業出版で、大きく紹介されているからと言って必ず大店とは限りませんし、出ていないからといって老舗でないとは限りません。

画像は正確には表紙ではなく、書物の袋です。当時の袋は殆どが捨てられてしまうので、
残っていることは稀です。
まして、この種の書物は観光ガイドブックとしても利用されたので、必ず傷んでいます。

図の下の方に樽丸(たるまる)、酒樽(さかだる)、桶(おけ)などが見え、
当時の神戸では、これらが地場産業であった事が偲ばれます。

2010年08月26日

酒樽に於ける「目回り」その2

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小さなトラブルです。接着剤を使わず、全て竹釘を使って底と蓋(ふた)を作るので、
竹釘を叩き込んだ時に杉に負担がかかったのでしょう。
底の先端部分です。木理に沿って杉が割れてしまいました。
交換です。
吉野杉は柔らかいものですから、少いさい木理の瑕疵が強いタガに耐えられなかったようです。

2010年08月27日

酒樽屋のお八つ  その參拾貳

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神戸元町の老舗「花見屋」の特大煎餅です。(正式には大判というらしい)、右は樽屋の親方贔屓の甘いものです。
半端な大きさではありませんが、価格も最近の激安店に並ぶもの一袋より高い168円。
東京の煎餅屋さんと同様、一枚だけ食べたい種類のものを買う事が出来ます。
大きさだけなら、時々一枚千円くらいする顔ほどの大きさの物も見かけますが、

因みに、このような物を関西では「おかき」と呼び、関東では「煎餅」といいます。
関西で「煎餅」というものは小麦粉主体のもので、決して醤油味ではありません。
材料は米なのです。東西共通しているものは小型の「あられ」だけのようです。

花見屋

神戸元町本店
〒650-0022 神戸市中央区元町通2-6-6
営業時間 9:30~21:00 (最近は19:00閉店のような気が.....)
定休日 なし
TEL:078-331-0873

2010年08月28日

阿波踊りに使う樽太鼓、あるいは最も小さな樽太鼓

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毎年、夏の終わりには地元徳島だけでなく、全国各地で阿波踊りの催しがあります。
阿波踊りに使う樽太鼓は普通の樽太鼓より少々小さいので、別途に拵えます。
肩から掛けた専用の金属器具に樽太鼓を取り付け、両手が使える状態にして、
樽太鼓を叩きます。
そんな訳で軽くて良い音が出るように、HPに出している樽太鼓の「小」の半分の小さい物を使います。
箍(たが)も太い胴輪が金具の邪魔になるので省略し、4本だけです。

阿波踊りでは囃子方が樽太鼓を各一個、担当するだけですから、
幼稚園や保育園用に「小」の樽太鼓でも大き過ぎる場合に、よく特別に作ります。
基本的に樽屋の技術では、これが最小なのです。
これより小さな樽(たる)をつくる時は、桶(おけ)の技法を要します。

昔、奈良漬を10キロ近く樽詰めしたものが進物用に大量に出ていた昭和40年代、
あるいは5升入の醤油樽も夏の間にたくさん作っていた頃の風景を憶えております。
今でも樽屋竹十の向かいには目立たないのですが奈良漬屋さんがあります。

この度の樽太鼓は、この時代の手法をアレンジ致しました。

右上に乗せている樽が一番大きな四斗樽(しとだる)です。
大きさの違いが良く判ります。

2010年08月30日

酒樽に適していない杉の木

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吉野杉は酒樽(たる)の材料としては最適なのですけれど、
なにしろ植物。自然のものですから、品質が安定している訳ではありません。
画像のものは「あて」と呼ばれている、杉と思われない位に大変硬度の高い部位です。
「あて字」で「陽疾」と書きます。稀に「档て」とも言いますが、漆器の材料になる「档(あて)」の木と混同し易いので、使わなくなり、「反木」と書いて「あて」と読みました。
硬いけれど実際の強度は普通の杉より劣ります。
建築材に使う場合でも、まことに厄介な代物で、普通は使いません。


杉が生えていた地質によって、こういう変化を起こしてしまいます。
山の斜面など、環境の悪い場所で育った木が太陽に向って垂直に成長しようとする時に、
自身を守るために硬化していきます。
重力に逆らって出来た、材木の肩こりの様なものです。

木樽(たる)は吉野杉の持つ柔らかさをを利用して酒が洩れないものを作る訳ですから、
このような硬い材料は酒樽には適しておりません。
原木を加工する過程で必ず廃棄するので、市場には出て来ないのですが、
一年に一枚か二枚は誤って混入することがあります。
幸い、この場合は蓋(ふた)でしたので、そのまま使用しました。
写真で三枚を接いでいる、真ん中が陽疾(あて)です。

樽太鼓に使えば硬い楽器が出来て丁度よいのですが、材料の確保が出来ません。

2010年08月31日

真夏に大量の四斗樽

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八月も今日で終わりだというのに、突然四斗樽(たる)の注文が沢山あり、
樽屋の全盛期でも真夏に大量の四斗樽(たる)を作ったという記録はありません。
夏には竹はないし、今年のような尋常ではない暑さの時期に大樽作りは汗びっしょりです。
写真の手前に見えるのが一斗樽(たる)=(18リットル)ですから、
四斗樽(たる)=(72リットル)の大きさがよく判るでしょう。

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これだけの量の四斗樽(たる)の梱包や、運送の手間も大変だなあと思っていたら、
トラックで引き取りに来てくれました。
最初は午後6時頃という約束だったのが、当日に突然午後3時に変更になったのですが、
それでは最後の一丁が出来上がっておりません。
無理を言って4時過ぎに変更。

江戸明治期における酒樽(たる)と言えば甲付の四斗樽(たる)だけと決まっておりましたが、
後年その利便性から、半分の量が入る二斗樽(たる)を「はんだる」と呼んで作り、
更に半分の一斗樽(たる)を「こだる」称して、四斗樽(たる)以上に流通せしめました。

ところが、ここ数年の日本の清酒離れと連動して、最大生産量を誇っていた一斗樽(たる)=
18リットル入がすっかり衰退し、むしろ本来の酒樽である四斗樽(たる)が復活してきております。
一斗樽(たる)は醤油にも酢にも使っていたので、その生産量は半端な数ではなく、
全体の7割近くを占めていた程で、とても手作りでは間に合わず、醤油メーカーが率先して、
特殊な技術がなくても、一日に200丁以上も量産出来る機械が第二次大戦前に開発された程です。
「樽屋竹十」にも、昭和40年代半ばに、この種の機械一式が小豆島から運ばれて来ましたが、頑固な樽職人ばかりが居並ぶ「竹十」のことです。
一番職人が率先して「こんな無粋な機械を導入するのなら、お暇を頂きたい、長い間お世話になりました。」という通告を受け、機械より職人の技の方が大切ですから、機械導入は断念。
この機械一式は別の場所へ移動し、そこで一斗樽(たる)を増産して完成品を「竹十」へ運ぶという方法をとりました。
職人達にとっては自らの技に対する矜持もさることながら、自分たちの職を奪われそうな恐怖を感じたと、引退したある職人が回顧しておりました。
それほど巨大で無機質な物体が威圧感を漂わせて、工場の入り口に長く鎮座しておりました。

たるや 竹十

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