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2015年02月 アーカイブ

2015年02月06日

樽太鼓を映画撮影用に発送する

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時代劇の小道具として欠かせないのが、古色を帯びた杉樽です。
江戸時代だけではなく戦前を想定した映画には必ずと言っていい程、酒樽(たる)が登場します。
今回は京都太秦の撮影所近くにある、映画美術の会社からの依頼で大量の樽太鼓(たるたいこ)を出荷しました。
ことほどさように当時は樽(たる)が生活に密着していたのです。

2015年02月20日

酒樽屋の「さし止め」

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完璧に作った筈の酒樽(さかだる)も、中には酒を容れると洩れるという事態が発生します。
酒樽(さかだる)から酒が洩れる事を「さす」と言います。
この洩れを止める事を「さし止め」と呼びます。
殆どの「さし」は「むしくい」という槙の木で出来た木片を突き刺せば止まるのです。
昔は酒造会社から「さし」という電話があると「さし止め職人」が自転車で走っていったものです。
昔は悪い職人もいて、あらかじめ分かりにくい場所に錐で小さな穴を樽にあけておき、
「さし」の電話があると、喜んで飛んで行きます。
洩れの原因は自身が一番良く知っている訳ですから直ぐに止めたあと、
なじみの酒屋さんと美味しい原酒を呑みながら一時間ほど無駄話をして、
「ああ大変だった」と言って工場(こうば)に帰って来る訳です。
彼の自転車の籠には、しっかり御土産の一升瓶も隠されていました。

2015年02月24日

空樽(あきたる)と明樽(あきだる)

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一度、酒樽(さかだる)として使った樽(たる)を称して「いちあきだる」又は単に「あきだる」といいます。
二回目は「にあき」とも言いました。さすがに「さんあき」はありません。
何十年と「空樽」と漢字で書くものと思い込んでおりましたら、
字面が悪いのか江戸時代から明治期には「明樽」と書いていたようです。
両方の書き方があったらしく、ともかく江戸に数十軒あった「明樽問屋」は
「あきだる」を二番手の蔵元や醤油屋へ売っていた由。
『江戸買物獨案内』文政七年(1824年)刊より

2015年02月25日

菊正宗での樽作り実演

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今月末、2月28日は菊正宗酒造の蔵開きです。
午前10時50分と午後12時50分の二回、樽作りの実演を公開します。(各40分間)
たるや竹十は菊正宗の若い職人達が酒樽(さかだる)を作るそばで、その解説を担当します。

偶然ながら、この日は西宮の日本盛さんでも蔵開きがある由

2015年02月26日

酒樽(さかだる)に腹書きを刷る

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最近では酒樽の正面に紙のラベルやシールを貼る事が一般的ですが、
少し前までは何枚かの型紙を組み合わせて「腹書き」と呼ぶ方法をとりました。
そのためには酒樽(さかだる)の正面には段差があってはならず、
細心の注意をはらって「目違いかき」という細い刃物で樽を仕上げたものです。
今でも、いくつかの蔵元では この面倒な手法をとって裸樽(たる)に趣きを添えてくれています。

2015年02月27日

酒樽屋のお八つ 其の肆拾

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不思議な食べ物であります。「カオニャオマムアン」といいます。
完熟前のナムドックマイ種なるタイのマンゴーをカットし、
餅米にココナッツミルクをかけたものを添えるという奇妙なデザートです。
カオニャオとは餅米の意味。日本の「しがらき餅」のようなものでしょうか。
甘いマンゴーに甘い餅米の組み合わせはタイならでは。
マムアン(マンゴー)の旬は四月らしいのですが、日本で食べる燻蒸されたマンゴーと
現地のそれとは別物です。さすがフルーツの国です。
日本人にとって餅米との組み合わせには最初は違和感があるものの、食べるうちに虜に。
タイでは、まことにポピュラーなデザートで
日本のタイ料理店でも最近では普通に出て来るようになりました。

三枚目の小さい写真はバンコクの千疋屋と言われているメー・ワリーMae Vareeのテイクアウト・マンゴーデザート「カオニャオマムアン」

2015年02月28日

酒樽作り 解説再録 其の壱

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「菊正宗での酒樽作り」担当した解説を再録

   1、杉について
 
四斗と言うのは約72リットル、この中に一升瓶で40本分入ります。
昔は酒樽と言いますと、この四斗樽だけでした。
木は殆ど奈良県吉野郡の川上村の物を使います。
ここに持って来た物が吉野杉の100年ものです。細く見えますが年輪はしっかり100本以上あります。
吉野の杉は苗を1メートル四方に一本、他の地方では3メートル四方に一本植えますから百年後にはこの三倍くらいの太さに育ちます。
吉野杉だけは「いじめ」が許されていまして、吉野では密に植えて根元に陽が当たらないようにします。
そうすると生えて来た枝は自然に枯れて下に落ちていきます。若い間は枝打ちしなくていいんですね。
いじめていじめて育てますから、木目が細かくなり、1センチに8本。
陽を求めて天へ天へと伸びて行きますから根元と木の先の直径が殆ど変わらない様なまっすぐな木が出来る訳です。
4mの原木で元と末に3センチの誤差しか出ない程です。
30年程経ちますと間伐もはじめますから1ヘクタールに1万本植えた杉のうち樽に使える木はその4分の1程の2000〜2500本です。
(東京ドームに4万5千本植えて、そのうちの一万本が樽になる計算)

おまけに川上村と言うところは日本でも有数の雨の多い地域で、山奥ですから適度に気温も低くて、年中「もや」がかかっている特殊な地域で杉の色が綺麗で、
酒との相性が良くて、液体を漏らさない特性があり、節がありません。節があると、そこから酒が洩れます。
何より香りが良いので酒を容れると味が最高です。

秋田杉は寒い地域ですし木目も密ですが、色が悪くてアクが強く酒がまずくなり、樽材として致命的なのは、滲み易い点です。
九州の杉は暖かいので木目は荒いのですが色はピンク色をしていて、綺麗で滲まないし値段は安いと良い事ずくめなんですが,
残念ながら香りが全くないノで樽酒には不向きです。木曽や北山杉は香りが酒には向いていなくて樽酒にすると呑めた物じゃありません。
四斗樽を作るには杉の丸太を一尺八寸に切ります。楽器の尺八と同じ長さですね.約54センチ強です。
これを丸みの付いた斧の様な物で,木目にそって割る訳です。決して鋸は使いません。木目が切れるからです.木目が切れるとそこから酒が漏れるのです。
この外側が白くて内側が赤い部分を甲付(こうつき)と呼び、一本の木から一カ所しか取れないマグロの「大トロ」のような部位です。江戸時代は酒樽と言えば甲付樽だけでした。
赤味は醤油や油,酢などを運ぶのに使われました。


 2、樽廻船
桶と違って樽と言う物は完全に輸送容器なんです。
明治の中頃に一升瓶が登場するまで全ての酒は杉の樽に詰められて、ここ魚崎の浜や御影の浜から樽廻船に積まれて江戸へ下って行きました。
その間、約一週間 丁度いい具合に木の香りが付いて江戸では「下り酒」と呼ばれて珍重されました。
左手に富士山を眺めながら下るので「富士見酒」とも言いました。
江戸近郊の酒は下って来ないので「下らない」と二級品扱いです。
上方のお金持ちは、この「下り酒」をもう一度船に積ませて二度富士山を見た酒を飲んで粋がっておりました。
見学された方もおられるでしょうが、こちらで樽が沢山並んでいる樽酒貯蔵場は「貳度富士酒」という高級酒を作っている場所と言える訳で、動かない樽廻船であります。
このあとで実演があります「菰まき」の菰と言う物は、この樽廻船で運ぶ際に船が揺れますから樽と樽がぶつかって傷つかないようにしたプロテクターだったのです。
各蔵元がよその酒樽と区別し易いように年々競って派手になって来たようですけれど、
菰屋さんには悪いんですが樽屋としましては、折角丁寧に作った樽をコモで隠してしまう事は残念に思います。
出来るだけコモを巻かず裸のままの樽(たる)で酒を呑んで欲しいものです。

たるや 竹十

  • たるや 竹十



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