« 2009年02月 | メイン | 2009年04月 »

2009年03月 アーカイブ

2009年03月03日

樽屋の雛祭りではありません

DSC08564.JPG

樽屋の奥に飾ってある訳ではありません。
某ホテルのロビーに鎮座しておりました。

大倉家伝来の雛人形だそうです。
バロン・オークラと称された元男爵大倉喜七郎氏より寄贈。
札幌の大倉競技場もバロン・オークラの寄贈。

樽屋が日頃、お世話になっている神戸中央図書館のある大倉山は喜七郎の父喜八郎が初代兵庫県知事伊藤博文邸を作る為に造成したので、大倉山と命名されました。


有職雛人形司 永徳斎作 昭和初期
永徳斎は明治から昭和にかけて東京日本橋十軒店(いまの室町三丁目)に店を構え、
四代を重ねた東京随一の人形店だそうです。

さすがに東京らしい大きな大揃の雛人形、見る人見る人記念撮影しておりました。

小さな酒樽、漬物樽、味噌樽、たらい、寿司桶、おひつ等が飾られていて、
昔の生活用品が全て樽や桶だったことが偲ばれ樽屋にとって楽しいものです。

2009年03月06日

まだまだ手作り味噌の時期なので味噌樽ばかり作る樽屋

DSC08527.JPG

三月になりました。今年は暖冬と言われていたのに未だ寒い日が続きます。
温度の低い時期は野菜もおいしく、更に味噌や漬物に最適なので、
樽屋への注文は味噌樽や漬物樽が多くなります。

味噌樽や漬物樽のように蓋のない樽は蓋がないので簡単に作る事が出来そうですが、
酒樽や樽太鼓のような蓋付きのものより、はるかに技術を要します。
殊に味噌樽は特殊な形状なので、一日に何個もの樽を作る事が出来ません。
同じ材料を使うのですが、漬物樽より値段が高くなってしまいます。
(漬物樽が安すぎるのですが..............)

酒樽屋はJEFF BECKファンなので、埼玉まで追っかける

DSC08571.JPG

初めて行った「さいたまスーパーアリーナ」
盗撮ではありません。終演後ライトが落ちた風景です。
ここのアリーナは余程前でないと殆ど見えないという噂だったので、敢えて2階席を選ぶ。


DSC08585.JPG

道に迷うことを覚悟していたら、いきなり駅前でした。
しかも隣には「ジョン・レノン ミュージアム」が。こんなに近くにあったのか。
ここが目的で来た訳ではないので又の機会に。

DSC08581.JPG


それより、この建物の前で演奏した"A DAY IN THE LIFE”はジョンへのオマージュめいていて,
今まで聴いた中でもずば抜けて秀逸、一種神懸かり的でした。
画像はロンドンのジャズクラブ、リドニー・スコッツのもの

一部JEFF BECK BAND

The Pump
You Never Know
Cause We've Ended as Lovers
Stratus
Angel
Led Boots
Goodbye Pork Pie Hat
Brush With The Blues
JEFF & TAL Solo(inc〜Freeway Jam)
Blue Wind
A Day In The Life
(Encore)


二部Eric Clapton Band

Driftin'
Layla
Motherless Child
Running On Faith
Tell The Truth
Little Queen Of Spades
Before You Accuse Me
Cocaine
Crossroads

三部Clapton & Beck
クラプトンバンドにベックがゲスト出演の形(ロンドンの逆)
ここで観客は総立ち。

You Need Love
Listen Here/Compared To What
Here But I'm Gone
Outside Woman Blues
Brown Bird
Wee Wee Baby
Want To Take You Higher
最後をこれでしめる所がさすが大御所二人。

老練な名人より永遠のギター小僧の方が数倍カッコ良かった。
クラプトン64歳、ジェフ65歳、一つ年上なのにジェフがクラプトンの息子みたい。
こんな風に歳を重ねたいものです。

2009年03月07日

酒樽屋のお八つ その拾捌 BECK' S!

DSC08588.JPG

コンサート会場から外に出たら、食事をする所がない。
ブラブラ探していたら、なんと[BECK'S]というカッフェが。
当日限定じゃないでしょうね。

DSC08590.JPG

この店の[BECK'Sプレミアム]という名のサンドウイッチは,気のせいかストラトの味がほのかに。

ここの親会社の名前がなんと[JEF]
きっと JEFF BECKファンが経営しているのかと思っていたら、JR東日本フーズでした。
サッカーのジェフ市原のオーナーでもあります。
どおりで関西では見かけない筈です。

2009年03月22日

酒樽(さかだる)屋が酒樽(さかだる)を発送する

DSC08654.JPG

突然、暖かくなってきました。
味噌樽(みそたる)や漬物樽(つけものだる)の寒い時期が終わりかけると、
かわって、お花見用に「酒樽(さかだる)」の注文が増えて来ます。
写真は四斗樽(たる)の形をしていますが、中身は二斗だけという変形樽です。

手前に見えるのは、次の酒樽(さかだる)を作るための箍(たが)用の竹の束。

因に、味噌作りは五月頃に仕込む方もおられるので、味噌樽(たる)の注文は、まだ続きます。

2009年03月26日

吉野杉を使った木樽の作り方 その5 つっこぼり

DSC08678.JPG

二本の鉄輪で支えられた木樽の内部のうち、底を込める部分の側の段差(目違いと呼びます)を、丸みのある特殊な鉋(かんな)で削り、平坦に加工して底との隙間をなくします。

この作業は「つっこぼる」と謂います。


DSC08683.JPG

ですから、この作業に使う特殊な鉋(かんな)を「つっこぼり」または「つっこぶり」と呼びます。
右が四斗用の大きい物、左が一斗や二斗に使う小型の物です。
細かい作業や小さい樽を作る時の為に、もっと小さい物もあります。
鉋(かんな)の両側に出ている棒状の部分を指で支えて削るのです。

例によって、作業の行為と道具の名称が同じです。

単に「丸かんな」とか「内かんな」と呼ぶこともあります。
台にも刃にも丸みがあります。
この特殊な道具を作る職人も殆どいなくなりました。
かつては堺に沢山の樽道具職人がいましたが現在では皆無です。
杉の産地吉野と酒の本場である灘の中間に、樽丸つくりと樽つくりに不可欠な刃物職人がいた事は偶然ではないでしょう。
今は兵庫県の三木市に一人だけ残っておられます。

普通の平かんなに丸みを付けて改造したりしてみますが、専門外の仕事は容易には出来ません。
どんな仕事でも道具作りが物作りの重要な要素であります。
慣れれた道具を修理しつつ使っております。

DSC08688.JPG

この工程は地味な割に以外と時間と手間がかかる作業ですけれど、底が入る部分を整える訳ですから、手を抜くと洩れの原因の一つになります。
当然丁寧な仕事を要求される訳です。

殊に味噌樽や、漬物樽のように長い年月使う木樽の場合、むしろ酒樽以上に丁寧な作業を要します。

近年、この作業を省略し、機械で円形の溝を作って、その溝に底をはめる手法も考案されましたが、この方法は作業が楽にはなりますが、手作りの底の外周や樽丸から加工した側の厚みの微妙な違いに対応出来ないので、「たるや竹十」では昔の手法に戻しました。

2009年03月28日

酒樽屋に助けを求めに来た樽太鼓たち

DSC05404.JPG

丹精こめて作った樽太鼓も保管状況が悪いと痛んできて、タイコではなくなってしまいます。

すべての木製樽は直射日光、風、水に弱いのです。
液体用の容器なので、水は適度に必要なのですが、
過剰な水分は竹を痛めてしまいます。

温度と湿度が頻繁に変化する空調機器のある環境が最も苦手です。
大型店舗の真冬などは、お客さんのために昼間は強力な暖房が施されておりますが、
閉店後の深夜は無人なので、逆に冷蔵庫状態にかわります。
これを毎日繰り返されると木製樽は、ひとたまりもありません。

夏は、クーラーを使うことから、逆ですが同じことが起こる訳です。

使わない樽太鼓は和紙(なければ新聞紙でも可)にくるんで北向きの冷暗所で保管して下さい。
水分を与える事が樽太鼓には良いように勘違いされているようですが、水も大敵なのです。

右の樽太鼓には釘や針金を使って補修していますが、タガが落ちないだけで全く効果はありませんし、
木工用ボンドを使った時と同じで修理が不可能になってしまいますから避けて下さい。
左の太鼓樽は「タガ」が切れているので新しいものに替えなければなりません。
樽太鼓の修理の際は殆ど、全ての「タガ」新しい物にを取り替えます。

2009年03月29日

江戸時代の酒樽屋 実は桶屋なのです

800px-Fujimi_Fuji_view_field_in_the_Owari_province.jpg

葛飾北斎(かつしか・ほくさい)の「尾州不二見原」です。

切手になったり、酒のラベルになったりしていて、たいそう有名な木版画ですね。
北斎は
1760(宝暦10年) 9月江戸本所に生る。
1778(安永7年) 19歳、勝川春章に師事、春朗と号す。黄表紙の挿絵、役者絵を描く。
1780-1800(天明・寛政のころ) 歌川豊春、司馬江漢の影響を受ける。
1810(文化9年) 『北斎漫画」の出版始まる。嘉永2年(1849)まで続き、13編で一旦完結。
1819(文政2年) 「たるや竹十」創業
1823(文政6年) 『富嶽三十六景』を描きはじめる。
1834(天保5年) 『富嶽百景』を描きはじめる。
1849(嘉永2年) 4月没、享年90歳、総作品は3万枚を超える。
結局『富嶽百景』は完結せず。

「富嶽三十六景」は36枚のように思われますが、実際は四十六枚。
富士山を中心に、それまで誰も考なかった斬新な手法を取り入れ、色調と構図も独特の大傑作であり、北斎五十年間の画業は、ここに凝縮されていると言えるでしょう。

因に、ここで桶屋が使っている道具を職人は「イレギワ」又は「ヤリガンナ」と呼んでおります。
桶の内側の段差を整える為の道具で、樽屋が使う「つっこぼり」と似た目的のものです。

左側に竹タガや銑(せん)等の道具や道具箱、右側に木槌が何本か見えます。
側を補修して、輪替えをしている図かも知れませんが、
一人で作業出来る大きさではありません。
あるべき筈の底も見当たりませんし、第一にこんな変形の桶をいったい何に使うのでしょう。

野暮なことを書き連ねてはいけません。これは「絵」なのです。
すべて、奇才北斎による想像上の風景なのでしょう。

北斎晩年のスポンサー高井鴻山で話題の長野にある桝一市村酒造場の十二代目らしく、下って十六代当主が北斎館を設立しているのも何かの縁でしょう。

たるや 竹十

  • たるや 竹十



  • 写真及び記事の無断転載はご遠慮下さい
  • About 2009年03月

    2009年03月にブログ「酒樽屋日誌」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

    前のアーカイブは2009年02月です。

    次のアーカイブは2009年04月です。

    他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

    Powered by
    Movable Type 3.35