メイン

まち アーカイブ

2006年03月17日

樽屋が全盛期だった頃の神戸の港


昔は神戸の中心は兵庫付近でしたから、図は今の三ノ宮よりもう少し西側の港でしょう。
「神戸市立博物館蔵」


酒屋、たる屋の蔵が建ち並ぶ地域。「たるや竹十」付近の遠浅の海。
写真の小舟に新酒の入った杉樽を載せ、この沖に停泊している樽廻船に積み込んで江戸へ下っていきました。


ご存知「メリケン波止場」。
今は味気なくなってしまいましたが、時折、ビルのように巨大な客船が入港して、
見物客が大勢押し寄せます。対岸にはコンテナヤードが見えます。

大きな機械を使い、一夜で荷役を終えてしまうので、外国人の船員も少人数ですし、逗留することなく次の国へ出航し、外人バァで幾夜も明かすという風習も次第になくなってしまったのです。


同じ「メリケン波止場」の明治期発行彩色絵葉書。
少し前までは居留地の異人館を除くと、こんな風情でした。

2006年03月20日

樽屋のお向かいコンサートの夕べ

菜の花の咲く頃、樽屋の向かいの資料館でコンサートが催されます。
レクイエムロードチャリティコンサートという名で毎年催されてきました。

今日も日没を待って、阪神大震災の際、「たるや竹十」の地元、神戸市灘区で亡くなった934人と同じ数の行灯に火が入れられました。

なだ区の花は、なの花なのです。
奥に見えているのが「たるや竹十」です。
地元の子供たちが作った行灯を灯すのも、この菜の花から採集した菜種油です。


コンサートも半ばを過ぎ、裸足の蔵人たちによる「酒造り唄」が披露されました。
「秋洗い唄」という桶や樽を洗う際に唄ったもので、勿論、アカペラです。

会場近くを流れる都賀川沿いにも、この行灯が海まで並びました。

2006年06月18日

火事の証人

写真は樽の材料ではありませんが、近所の並木が伐採された時に、真ん中に焦げ目のある木に出会いました。
年輪を数えてみたら、焦げ目の所は約60年前。
1945年3月の空襲で「たるや竹十」の付近に火災が発生した事を自身で語っています。

阪神大震災までは竹十のそばを流れる都賀川に沿って、柳並木が灘五郷ならではの風情をかもし出していました。
ところが震災後のプロジェクトで、亡くなった方の人数だけ桜を植えるということを思いついた人が何所からかやって来て、ある日突然、殆どの柳を伐採、桜に植え替えてしまいました。

一見、鎮魂という美談に見えますが、江戸期から続いたであろう景趣を残すことを忘れているように感じられてなりません。
何故、桜なのでしょう。
単純に話に迎合した役所も安易過ぎます。
もう、取り返すことのできない貴重な財産を失ってしまったことさえ、気付いていないように見受けられます。

空襲や台風に耐えて酒蔵の町を永い時間、見つめてきた柳まで勝手に伐る必要はなかったのではないでしょうか。

小村雪岱「青柳」 大正13年

柳は江戸期の都市文化の象徴として、かつて浮世絵などにも盛んに描かれました。
柳は日本の「粋」を体現する舞台装置として欠かす事が出来ません。

蓮咲くや桶屋の路次の行き止まり   久保田万太郎

投稿者 diva : 11:10 | コメント (0)

2006年07月12日

ローマの喧騒、狂乱のミラノ

写真FIFA

ワールドカップ24年ぶりの優勝に沸く、
コロッセオの周辺。

写真FICO

ひっそりと勝利を祝う神戸の夜のショーウインドウ。
売り物だったら欲しい。

写真FIFA

7月2日のポルトガルxイングランド戦に、お忍びでやって来たミック!
ガードマンの後ろの席が空いています。空けてあるのかなあ。

イタリア優勝の翌日、ストーンズのツアーはミラノのサッカー場で再開。
キースの怪我やロニーの入院で、どうなるのかと思っていたライヴですが、ミックは招待したマテラッツィとデルピエロを舞台に
呼び上げ、「キースとマテラッツィには頭に関る事件という共通点があります」とイタリア語で紹介したらしい。ミラネーゼの興奮も頂点に。

セットリスト (As Tears go byのイタリア語版は稀)
Jumping Jack Flash
It's Only Rock'n Roll
Oh No Not You Again
Let's Spend The Night Together
Tumbling Dice
Streets Of Love
Con Le Mie Lacrime(As Tears go by)
Midnight Rambler
Night Time Is The Right Time
Introductions
Before They Make Me Run (Keith)
Slipping Away (Keith)
Miss You ( B)
Rough Justice(B)
Under My Thumb(B)!!!
Honky Tonk Women (B)
Sympathy For The Devil
Start Me Up
Brown Sugar
You Can't Always Get What You Want (encore)
Satisfaction (encore)
Seven Nation Army(マテラッツィ+デルピエロ+7万人のオーディエンス)

21日には、そのワールドカップ優勝決定戦が行われたベルリンのオリンピアスタジアムでSTONES公演
未だ、チケットあります。

2006年07月18日

樽屋 祇園祭に行く

今日は祝日なので、樽屋夫婦も休養をかねて祇園祭見学に行くことにしました。
樽屋の女房は京都生まれ、京都育ちなので、祇園祭初体験の樽屋の「おやかた」にとって良き案内人になる筈だったのですが、京都を離れて永いからか、?????の連続でした。
しかも、当日は、あいにくの豪雨。
見事な懸装品も馬もビニールシートで覆われておりましたが、見物人が昨年の半数近くで、例年なら遠巻きでないと見ることが出来ない祭を地元の人々と一緒に間近で体験する事が出来ました。

見学したのは、有名な「宵山」でも「屏風祭」でも「山鉾巡行」でもなく、地元密着型の「神幸祭」という御神輿の巡行です。
道に面した各家の前には必ずと言っていい程、「角樽」に入った「御神酒」が供えられています。

角樽の形状が「尊」という形に似ているので「たる」のことを昔は漢字で「尊」と書きました。
その後、神に供えるための御神酒は尊い物だということから、
尊い物、尊い事の総称として「尊」を使うようになってきたため、
本来の「樽」には木偏を付けて二つを区別するようになりました。


何と言っても祇園の人々にとって最大のハレの舞台なのですから、ペットボトル入りの似非烏龍茶は勘弁して欲しいものです‥
来年から、ちゃんと沸かした京番茶か麦茶を出してあげてね。

先日、漬物樽を納品した錦市場の漬物屋さんも揃いの法被を着て元気に担いでいました。
残念ながら、勢いがありすぎて、カメラが追いつくことは出来ませんでした。

七月の京の都は祇園祭一色となります。

2006年12月08日

夜の神戸に、またまた怪あらわる!!!

師走になると、神戸の町に不思議な光りが出現します。
ルミナリエという名前で、阪神大震災で亡くなった方々への鎮魂と避難所生活など厳しい生活を余儀なくされてきた被災者の皆さんへのねぎらいと励ましという大義名分は立派で、実際に美しいものなのですが、楽しみにされておられる方も大勢いらっしゃるでしょうけれど、会期中は地元の神戸市民にとって、少々迷惑。

会場周辺が交通規制のために、町なかに侵入できず、仕事に支障がおきます。
市内全体が当然、渋滞して酒樽の配達が遅れます。
地方発送の漬物樽の配達を依頼している運送会社のトラックがいつもの時間に工房に来てくれません。
街の中心地で開催されるので、恐ろしい人数の人出に、日常生活に必要な買い物が困難になります。
なじみの飲食店が他府県の人たちによって占拠されるので、外食が出来ません。
近隣の百貨店は近道兼トイレ化するだけで、売上はむしろ落ちるそうです。

元々、これは南イタリア、シチリア島で毎年行なわれる祭礼の灯火で、LUMINARIAと言います。
それを、真似て、派手にしたもので、神戸独特の名物ではないのです。
日本でいうとお盆の行事のような物で、たいそう宗教的なものです。アメリカやメキシコでも盛んだそうです。
これを、更に真似た**ナリエなどという珍奇な物も各地で発生しています。


LUMINARIA

本場のルミナリアは上の写真のように、ごく地味なものなのです。
シチリア大好きの樽屋も十数年前にラグーサで、はじめて見ました。

2006年12月11日

樽屋の隣で餅つき大会

「たるや竹十」H.P.表紙の版画にあるように、「竹十」の中に明治時代までは神社がありました。
現在は「住吉神社」として独立しています。
そこに毎年、町内から大勢の人々が集まって、餅つき大会があります。
朝から夕方近くまで、何臼もつきました。

普段、顔を見たことはあっても、挨拶もしたこともない人たちと和やかに餅を丸めて(形は悪い)、
雑煮を食べたり、酒を呑み交わして、一日を過ごす様子は、下町ならではの風情です。
町内の餅屋さんと和菓子屋さん、米屋さん、酒屋さん、樽屋さんの協力もありますから、心強いのです。
つい、最近まで何処でもあった行事ですけれど、今では都市部では勿論、地方の村落ですら、
失われていった日本の原光景と言えます。

イタリアの山岳都市やネパールの奥地の村では、何処にでも見られる光景でしょう。

2008年10月12日

酒樽屋は必ず海辺にある筈

DSC07200.JPG

すっかり秋らしい空になりました。
灘五郷だけかも知れませんが、造り酒屋や酒樽屋は必ず海辺にあります。
川沿いにある地域もあるでしょう。

少なくとも造り酒屋や酒樽(さかだる)屋は水が美しい場所にあります。

海辺にあるのは昔、水運が発達していた頃は材料を船で吉野から運び、
出来上がった酒樽(さかだる)を樽廻船に積んで江戸へ運んでいたからです。

2008年10月23日

酒樽屋の前を神輿が通る

DSC07511.JPG

まことにローカルな町内の話です。
秋祭りの季節です。
「たるや竹十」の前で町内の神輿が御祓の儀を執り行なってくれました。
樽屋の前には、いつも出荷待ちの酒樽や漬物樽がたくさん並んでいるのですが、
この日は日曜日、酒樽類を全て片付けてしまっていたので、慌ててひとつだけ樽太鼓を店内から
出して来ました。
樽太鼓だけではなくて、酒樽も出しておけばよかったと後悔するも
来年から、祭り前のは きちんと店舗前も掃除しておこう。

神輿を担ぐのは知った顔ばかり。
酒樽屋の主人も、この祭りに参加したいのですが全国各地で同時期に秋祭りや秋の音楽会が続き、それに使う酒樽や樽太鼓の製作に夜なべが続く時期ですので練習に出る時間がとれないのです。

2008年10月29日

酒樽屋を撮るアマチュアカメラマンとウーマン

DSC07586.JPG

酒樽屋も観光地化してきて、アマチュアのカメラマンや日曜画家たちがよく来訪します。

左側に見える出来立ての酒樽よりも
「たるや竹十」の店先に並んでいる古樽がお気に入りのようです。
古樽やタガを並べている木製の棚は醸造用の桶を干すためのもので、決して古い酒樽(さかだる)を並べるためのものではありません。
普通に「たな」と呼んでいますが、特別な呼び方があるのかも知れません。
暖気樽を乾かす棚はもっとシンプルな形をしていて「ぬくめだな」と呼びます。

2008年11月05日

再び消えた「樽廻船」

DSC05495.JPG

路上を奇妙な形のバスが走っております。
普通のバスではないと気づき、酒樽屋が後を追いかけて行くと

DSC05489.JPG

なんと数十人の乗客を乗せたまま、バスは海の中へ!!!!!
水陸両用バスだった訳ですね。
ここは神戸市灘区および東灘区で唯一、歩いて海へ行ける地点で、
樽屋竹十のすぐ近くです。

つまり、かつて酒樽を満載した樽廻船(たるかいせん)が江戸に向かった浜なのです。

スプラッシュこうべ」という企画だそうです。「飛沫」という意味ですね。
海に入る時には、確かに乗客も水浸しになります。
そういう理由ではないのでしょうが、現在は神戸市中央区のメリケン波止場からしか海には入らなくなり、灘の浜から定期的に かつての樽廻船のごとく船が出てゆく光景を眺めることは
出来なくなってしまいました。

はじめてこの企画を耳にした時は中央区の波止場から海上を遊覧し樽屋竹十横の浜に着くのかなと想像していたのですが、実際は余りに危険なので樽屋竹十付近を少し周海するだけでがっかりしました。

2009年01月21日

味噌樽を作った後、酒樽屋の近くにある神社の厄除祭に参拝する

樽屋の近所の船寺神社や六甲八幡神社では厄除祭

DSC08208.JPG

船寺神社は現在の神戸市灘区に流れる都賀川の治水が悪いので、仁和四年(888年)に京都の石清水八幡宮の分霊を勧請して川の方向の東向きに社殿を建てて海上安全など種々の厄除を祈願したといいます。正平十七年(1362年)に都賀野行家が奈良の春日大社の分霊を迎えて祀り、寛文八年(1668年)の増改築時には四代将軍徳川家綱が拝殿を寄進したと言われます。
先の大戦で全焼、昭和四十一年に社殿を再建。幸い阪神大震災の時は無事でした。

最初の建立の頃は、この辺りが海岸だったので「船寺」と呼びます。
今では、実際の海岸まで約10分近くかかります。
それでも、東神戸で昔の海岸線が残っている場所は、この地域だけです。
他の場所は「市街地調整」「まちづくり」等と称して、
どんどん埋め立ててしまいました。今でも埋め続けています。

六甲八幡神社も平清盛が福原に遷都した治承四年(1180年)に同じ京都の石清水八幡宮を勧請したことに始まるといいます。やはり厄除けで知られ、毎年一月十八・十九日には厄除大祭が盛大に営まれます。こちらは縁日等も出て、雨にも関わらず大盛況でした。


DSC08209.JPG

近所の奥樣方が集まって、大きな鍋で「おでん」を作っていました。

DSC08213.JPG

震災復興祈願の「豚汁」も振る舞って頂き、体が温もりました。

今日は、季節なのでしょう。「味噌樽(みそだる)」の注文が重なります。
「味噌樽(みそだる)」に関しては、注文が多くて生産が追いつきません。
未だ、何人かの方々に発送を待って貰っております。

「味噌樽(みそだる)」に励んでおります。

2009年02月06日

近所の平五郎稲荷と昔「竹十』の中にあった お稲荷さん

DSC08396.JPG

初午です。
お稲荷さんの誕生日だそうです。

早速、樽谷さんの店に行って薄揚げと厚揚げを買いもとめ、
近所の「平五郎稲荷大明神」へ、お供えに出かけました。

子供の頃によく遊んだ場所ですけれど、その寺山修司めく空間が今でもおどろおどろしく、
やはり少々、怖い思いがしました。
お供えの「油揚げ」をもう野良猫が持って行こうとしております。
昔、裏山の墓地に、平五郎という狐が住んでいて、お墓参りの時などに塚穴を覗くと狐が見えたそうです。この狐を祀った稲荷祠。

DSC08399.JPG

帰って来たら、たるや竹十の中にも祠があった事を思い出し、そちらにも「お供え」
ここは、現在隣接するH氏の敷地内。
H氏も子供の頃、このエリアがたいそう怖かった記憶があったと回想していました。

2009年03月03日

樽屋の雛祭りではありません

DSC08564.JPG

樽屋の奥に飾ってある訳ではありません。
某ホテルのロビーに鎮座しておりました。

大倉家伝来の雛人形だそうです。
バロン・オークラと称された元男爵大倉喜七郎氏より寄贈。
札幌の大倉競技場もバロン・オークラの寄贈。

樽屋が日頃、お世話になっている神戸中央図書館のある大倉山は喜七郎の父喜八郎が初代兵庫県知事伊藤博文邸を作る為に造成したので、大倉山と命名されました。


有職雛人形司 永徳斎作 昭和初期
永徳斎は明治から昭和にかけて東京日本橋十軒店(いまの室町三丁目)に店を構え、
四代を重ねた東京随一の人形店だそうです。

さすがに東京らしい大きな大揃の雛人形、見る人見る人記念撮影しておりました。

小さな酒樽、漬物樽、味噌樽、たらい、寿司桶、おひつ等が飾られていて、
昔の生活用品が全て樽や桶だったことが偲ばれ樽屋にとって楽しいものです。

2009年04月04日

酒樽屋の近くで催された、お酒の祭り

DSC08729.JPG

酒樽屋のすぐ前の蔵元の中で「蔵開き」という名の、お祭りがありました。
この時期は各地で同様の催しが開かれます。

当然ながら、会場に正面に酒樽が置かれ鏡開きを行いましたが、天候にも恵まれた上に、おいしい新酒を格安で販売したことも手伝って予想以上に人が集まり、当初は余るであろうと考えていた樽酒が数時間で売り切れ、担当の方も驚いておりました。

すぐそばの海辺の公園でも地元住民主催の「菜の花祭り」が開かれて、ここでも酒樽の鏡開きがありました。
どちらも四斗樽に出来立ての清酒がたっぷりで、酒処「なだ」ならではの光景です。

DSC08748.JPG

上の写真は酒を搾る工程で、容器に酒樽を使っておりますが、外したフタが見えておりますし、この祭りの日だけ来場者の方々に楽しく見てもらえるための演出だそうです。
ことほどさように酒樽は人の心を和ませる作用も併せ持っている訳です。

この日の催しは地元の新聞にも翌日大きく取り上げられました。
写真に写った職人さん達は大喜びです。

2009年05月31日

酒樽屋の休日 枇杷を愛でる

DSC02305.JPG

今年も、「枇杷(びわ)」の季節になりました。
この過ごし易い時期は樽(タル)屋の仕事が比較的減り、たまっている雑用を片付けます。

日曜ですが、某蔵元に呼び出されて、夏に企画されているイベントの打ち合わせでした。
庭の灯籠から、枇杷(びわ)の実がのぞいております。

昔は、どの家庭の前庭にも枇杷の木があって、子供の頃に友達と木に登って無断で食べて、
よく叱られたものです。

枇杷(びわ)Erriobotrya Japonicaは文献上は奈良時代にも見えますが、本格的に中国から渡来したのは、
樽(タル)の技術が確立した数十年後の天保年間ですから比較的新しいものです。

殆ど、果実を食べますが、今年は冬が長かったので関西では未だ早いようです。
そのまま食べる他に果実酒にしたり、葉は薬用になります。
材は大変硬いので、杖や木刀に使います。
樽(タル)には使えません。

「桃栗三年柿八年」は人口に膾炙しておりますが、その後に「枇杷は早くて十三年」と、
続く事は余り知られていないようです。

樽(タル)屋の近所に琵琶町という町がありますけれど、
琵琶はもっと古くイスラム圏から渡来した、弦楽器です。

2009年06月14日

酒樽屋もホタルを愛でる

B000OT8JV4-1.09.LZZZZZZZ.jpgビクターエンタテイメント

ホタルの季節です。
近所の裏山をはじめ、全国各地の名所で「ホタル鑑賞会」なるものが開催されています。
昔はタル酒持参でホタルを愛でたことでしょう。

画像が上手く撮れなかったので、レミオロメンのシングルCDジャケットをお借りしました。
この中の一曲「ホタル」は映画「眉山」の為の書き下ろしです。
徳島に眉山という山があるのですね。
タル太鼓を使う阿波踊りがキーワードになっている映画です。
今はDVDも発売しています。

樽屋はてっきり、川上眉山の伝記映画だと思い込んでおりました。

満渓蛍火乱昏黄 透竹穿藤各競光
吟歩不愁還入夜 借将余照渡山梁
菅茶山 螢七首より

2009年12月24日

酒樽屋のクリスマス

DSC08143_2.JPG

酒樽屋にとって,クリスマスの前後は一年で最も忙しい時期です。
街の賑わいとは縁遠く、毎晩遅くまで樽を作っております。
もちろん周辺の蔵元も同様です。
近所の教会の前を通り、光る樅の木が目に入る時だけ聖夜なんだなと思い出します。

DSC09456.JPG

夕暮は、こんな感じの「六甲カトリック教会
入り口付近に「聖母子像」のレプリカがあり、プレートに下のように書かれております。

From the citizens of Antwerp
in memory of the victims of the Kobe earthquake
January 17,1995

2010年08月14日

酒樽屋の日和下駄 其の壱

wspgs334-img600x450-1231168975pddolq45394.jpg

岩屋名所 松帆の浦」という説明を持つ絵葉書です。

昭和8年の消印から類推するに、台風で本殿の「敏馬(みぬめ)神社」が流された為の急拵えの祠ではないでしょうか。
「樽屋竹十」の中にあった「住吉神社」の親社です。
同じように江戸に向う樽廻船の航海の無事を祈りに出帆前の船は必ず、お祓いを受けました。
この付近は今でこそ前を国道が走り、海まで何キロも埋め立てられてしまいましたが、
古い資料によれば、かつて料理店35軒、お茶屋15軒、芸妓置屋15軒からなる、
福原、花隈に次ぐ狭斜の街だったのです。

蕪村が有名な「菜の花や月は東に日は西に」の連句を詠んだには、この地にあった、
料理旅館「井筒屋」の句会だと言われております。

「敏馬神社」という、この神社は地域では殊のほか重要な杜で、
樽屋の親方夫婦は祭事があれば、必ずお参りに出かけます。

「敏馬花街の由来記」1936年 によれば、元々漁港であり、夏は海水浴場として賑わったらしく、やって来る遊客を見込んで明治31年に前述の花街を建設した由。

044%E3%80%80%E5%B2%A9%E8%B0%B7%E9%82%91%E3%80%80%E6%95%8F%E9%A6%AC%E7%A4%BE%E3%80%80%E6%B1%82%E5%A1%9A.jpg下の圖は「摂津名所圖繪巻七」より

2010年08月16日

酒樽屋(さかだるや)の息抜き

DSC00538.JPG

お休みですから、酒樽味噌樽漬物樽樽太鼓、加えて夏に受注が集中するディスプレー用展示樽などなどから一切離れさせて頂き、散歩に出かけました。
阪神大震災の折に大きな被害を受け解体してしまった元の場所、神戸居留地京町25番に今春再建されたカフェ オリエンタルに出かけて、お茶を頂きました。
17階とはいえ、周囲に高層ビルが建ち並び、決して良い眺望とは言えません。
カフェの隣には旧居留地の設計者J.W.HARTの名を冠したレストランも併設されています。
ここでは再現された幻のオリエンタルホテルカレーを一日限定20食ながら供されます。


DSC00547.JPG

オリエンタルホテルは初代が明治3年創業だそうですから、
第一代兵庫県知事伊藤博文中島棕隠の養子である第三代知事中島 錫胤(ますたね)らが赴任した1869年のすぐあとに旧居留地伊藤町79番に建てられ、
その後80番屋敷を買い取り増設。
この伊藤町と言う地名は伊藤博文に因んで命名された由。

明治40年(1907)海岸通6番にゲオルゲ・デ・ラランテの設計により新築。
残念ながら名建築だった、ここも焼失。その後87番を買収するも、これまた焼失。

カフェのプレートと、この絵葉書とは当時の海岸通の建物でしょう。


NET%20%E6%97%A7%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB.jpg

その後、再建されたホテルも昭和20年(1945)空襲により焼失。
昭和39年(1964)に現在の京町25番に新築。
屋上の灯台が名物でした。

六甲山オリエンタルホテルや元町に阪神レストランオリエンタル、
オリエンタルホテル舞子ヴィラなど手広く経営を広げるも、
平成7年(1995)阪神大震災のため、解体。ながらく駐車場になっていましたが、先頃建て直されました。
のちに国内他企業や外資系企業に買収され、新神戸や西神戸、更に港湾地区に別のオリエンタルホテルが出来、
かつての優雅さは失われていまいましたが、今年再建された新しいホテルには、
数奇な運命をたどった名門ホテルの栄華を復活させようという企てが感じられます。

800px-Kobe_Japan_Oriental_Hotel_1907AD.jpg

〒650-0034
兵庫県神戸市中央区京町25
TEL:078-326-1577
受付時間:10時~23時

2010年12月15日

大阪 適塾の大名竹の竹は酒樽(さかだる)には適していない

DSC01116.JPG

商人の町、町人の町大阪は。幕末と変わらない自由闊達な雰囲気が残っています。
御堂筋のすぐ東側の船場北浜。高層ビルに囲まれて町家が一軒残っています。
隣に不思議な趣きのある木造の愛珠(あいしゅ)幼稚園も残っており、この二軒が奇跡的に戦災を免れたそうです。
この幼稚園は木造では日本最古の由。後日、別に紹介します。

緒方洪庵が弘化2年(1845年)現在の場所にある商家を購入した建物です。
彼は号を適々斎と称し、その塾を「適々斎塾」または「適塾」と呼ぶようになりました。
この私塾は、「己の心に適(かな)う所を楽しむ」を意味し、
「意の適(かな)ふ所は諧謔して日を竟ひ、適はざる所は望々然としてこれを去る。履行多くは縄墨に中(あた)らず」と言った柏木如亭を思い起こします。


洪庵は文化7年(1810年) 岡山に生まれ、
長崎で蘭学の修行の後、天保九年(1838年)、二十九歳の時に開塾。
文久3年(1863年)五十三歳の死去まで二十四年間に渡り、適塾は続きます。
因に急死の原因は、友人の広瀬旭荘の意見によれば、江戸城西の丸火災の時、
和宮の避難に同行して長時間炎天下に居たからだとも。
伊藤博文ら塾生たちは、ここで厳しく学び、多いに酒を呑んだといいます。
日本で最も栄えた蘭学塾とはいうものの、当時では質素な建物で、
中庭を隔てて洪庵が使った書斎があり、その人柄を思わせる端正な佇まいです。
吉田松陰の松下村塾を思想教育の塾だとすれば、適塾は医学、語学教育の塾でありました。

一般公開されていますが、残念ながら現在は改修中で来春まで中に入る事は出来ません。

医学校を経て今の大阪大学の源となった塾なのです。

2010年12月25日

酒樽屋(さかだるや)の聖夜祭

DSC08142.JPG

酒樽屋の親方が昔、住んでいた場所のすぐそばに教会があります。
六甲カトリック教会といいます。
当時は彌撒MISSAも讃美歌INNOも羅甸LATIN語だったのですけれど、今はかわりました。
余り知られていませんが、この教会の前に島尾敏雄が住んでいて、
久坂葉子氏富士正晴氏がよく尋ねて来ていたそうです。
島尾敏雄氏の亡妻ミホ氏がカトリック信者だった関係もあったのか、
島尾氏自身も後年入信しています。(洗礼名ペテロ)
最近、刊行された島尾敏雄の日記に詳細が出て来ます。

ここの教会は定時に鐘楼が鳴り響くので、朝も遅くまで寝ている方から苦情があり、
一時休止していましたが、これは復活しました。
羅甸語彌撒の復活は無理だそうです。


2011年01月08日

樽屋(たるや)竹十、マンホールの蓋(ふた)になる  

DSC08832.JPG

永らく探していた、「樽屋(たるや)竹十」のマンホールの蓋(ふた)を発見。
偶然ながら、今年の年賀状に使用した図と同じ物でした。
隣町の路地裏にひっそりと......................................................

神戸市水道局から樽屋に何の連絡もありませんでしたけれど。

随分前から、この「樽屋マンホール」の存在は聞いていたのですが、
「酒蔵の道」と名付けられた近所の旧街道にあるものだと信じ込んでいたため、
何年も発見出来ませんでした。
今日は他の用事があって、徒歩にて裏道を通っていて、ようやく出会えました。

取り外して記念に持ち帰る事は出来ません。

2011年04月11日

東日本大震災の御見舞い申し上げます

東日本大震災により被災された皆様に心より御見舞い申し上げます。
また、被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

1995年の阪神淡路大震災の折、震源地に近い神戸市灘区に位置する弊店も、
大きな被害を受けました。しかし、震災後全国から温かい御援助や御支援をいただき、神戸の街もなんとか復興を遂げ、おかげさまで弊店も樽造りを再開することができるようになり現在に至っております。

かつて、被災地の方々から沢山の漬物樽や味噌樽、あるいは酒樽の御注文を頂戴して、
喜んでもらえました。
東日本の皆様の現在の生活を心配いたしております。
震災から一ヶ月、今頃が一番たいへんな時期かも知れません。

2011年06月05日

酒樽屋 昭和初期の小売酒店の写真に木製樽を見る

600x380-2011040400110.jpg

昭和30年代までは輸送用の容器として木製樽が主流を占めておりました。
町の酒屋に行く時も自宅から通い徳利を持参して、酒樽から今夜必要なだけの酒を買いに行ったものです。
沢山の木製樽の後ろにガラスの一升瓶も見えますが、普段これを買う程には日本は未だ裕福ではなかったのです。
一升瓶は、もっぱら進物用に使われていました。
「大関」とか「白雪」など今でも残っている蔵から出荷された菰被りの酒樽が多く見られますけれど、
菰は輸送時の緩衝材ですから、写真の女性が選んでいる裸の木製樽の方が自然な感じがします。
これは無地の菰を仮巻という略式の方法で簡単に巻いて、店に届いたら菰は解いてしまっていたものです。

なお、かつて清酒のための輸送容器は全て四斗樽でした。
今は、木製樽はもちろん、一升瓶も陰をひそめて酒は量販店で紙パックを買う時代になりました。

2011年06月15日

酒樽屋にも東日本大震災の影響が少し

DSC01089.JPG

避難所、仮設住宅、復興住宅と16年前の神戸での大震災を想起させる言葉が
メディアの各所に見られ、忘れていた記憶がよみがえり気が滅入ってきます。
国内での震災による自粛ムードは徐々に薄らいで来ましたが、
外国から見た今の日本は、全国が放射能に汚染されているように感じるようです。

先日も随分前から準備していた海外輸送用の酒樽がキャンセルになりました。
理由は記されておりませんでしたが、恐らく放射能に対する恐怖でしょう。

近所のロシア料理店のオーナーも、慌てて本国に帰ってしまいました。
恐らく半年くらいは戻って来ないでしょう。
彼の場合もチェルノブイリの記憶が甦って来たのでしょう。

2011年08月23日

酒樽屋の油売り

DSC05866.JPG

心なしか暑さも和らいで来た気も致します。

本日は処暑なり。収穫期でもあります。

偶然ながら、同じ日が油の日でもあります。
かつて大山崎で長い木を使って油を搾る技術を考案した日だそうです。
旧歴だから、年によっては8月20日になったりもします。
写真は1000年以上前に九州から分かれて建立された離宮八幡宮で、
油の神様にされています。


写真の関大明神は摂津の国と山城の国の境で関所があった名残です。
また、この北側に「大筑波集」で有名な山崎宗艦の旧宅跡の碑が建っておます。
宗艦はここ山崎の竹を伐って京まで油を売りに行っていたといいます。
当時の油は荏胡麻油で、最近ではコレステロールが少ないよいう理由から、
食用として脚光をあびていますが、
昔は灘の菜種油と同様に行灯等を灯すために照明に用いられていました。


かつては樽屋竹十も、この付近の竹と右京区鳴滝の竹だけを使用しておりましたが、
今は伐採禁止になったので、六甲山の裏手の竹林へ伐りに行っています。

この付近一帯、現在はサントリーの蒸留所や大山崎山荘すなわち旧加賀正太郎邸、
後のアサヒビールの祖、山本為三郎邸の美術館をはじめ、
美術館に登る途中に建つ藤井厚二の聴竹庵妙喜庵待庵など、
風光明媚の故か新旧名建築が残っています。


     宵毎に都を出づる油売り ふけてのみ見る山崎の月  宗艦
                       七十一番 職人歌合せ

2012年01月17日

酒樽屋と震災

%E7%A6%8F%E5%B3%B6.jpg

神戸を襲った大震災から17年目の1月17日です。
表面的には復興したかのようですが、未だ何も変わっていないどころか、
むしろ悪くなって行く場所が各地に見られます。

そんな日に偶然、福島の小学校から樽太鼓の注文が来ました。
今でも避難所になっているのだそうです。新学期が始まったので大変でしょう。
先月にも送ったのですが、転居先不明で戻って来ました。
実は別の場所に新校舎を建てている最中だったからでした。
丁度、近所の酒蔵で新粕が出来た時だったので一緒に送りました。
暖かい粕汁にでもして下されば嬉しいのですが。

2013年06月27日

小学生たちと酒樽屋

DSC_3148.JPG

毎週一回午前中に近所の小学生たちが図画工作の校外授業でしょう。
たるや竹十の周辺に集まってまいります。
多くの子供達は他の綺麗な建物の前に並びますが、数人がたるや竹十の破屋を選んでくれます。
先生の指導内容にいくつか不満がありましたが、生徒達が混乱するだけなので我慢がまん。
楽しくお絵描きしているのですから酒樽屋がさしでぐちする事ではありません。

たるや 竹十

  • たるや 竹十



  • 写真及び記事の無断転載はご遠慮下さい
  • About まち

    ブログ「酒樽屋日誌」のカテゴリ「まち」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

    前のカテゴリはそのほかです。

    次のカテゴリはコモです。

    他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

    Powered by
    Movable Type 3.35