« 2009年04月 | メイン | 2009年06月 »

2009年05月 アーカイブ

2009年05月01日

酒樽屋が作る小さい樽(たる)

DSC09073.JPG

酒樽(たる)屋が作る樽(たる)には大きさに限界があります。
基本的に樽屋が作ることの出来る最大の寸法は高さが一尺八寸(約59.999999999.........㎝)の樽(たる)。
いちばん小さい物は高さが九寸(約29,99999999...................㎝)の樽(たる)です。

但し、写真の右側にあるような 大きい味噌樽(たる)サイズのものを作ってから高さを調節します。
このようにして、高さが六寸(約19.99999.....㎝)や五寸の小型の樽(たる)を作る事も出来ます。
偶然ながら、写真の左に見える作業用の水桶が、よく似た寸法です。

2009年05月05日

酒樽屋、寿司桶を修理する

DSC09066.JPG

隣町にあるお寺の住職さんが痛んだ寿司反切(はんぎり)を持って来られました。
切れた竹の輪を替えるためです。

少し前まで、どこの町にも「輪替屋」という職人が定期的にやってきて、このような、
作業を低価格で請け負ってくれたものです。
最近は、自転車に乗った豆腐屋さんや魚屋さんも見かけなくなりました。

2009年05月06日

酒樽屋のお八つ その弐拾壱 特大どら焼き

DSC08928.JPG

亀十の大きな「どら焼き」です。皿からはみ出しそうです。
竹十とは関係ありません。
大正末期創業の同店は、”亀は万年”の着実に進む亀の歩みと十のおめでたい縁起をかついで亀十と名付けたそうです。


亀十のどら焼 一個 315円(白餡もあり)

亀十
東京都台東区雷門2-18-11
TEL:03-3841-2210
10:00〜20:30
定休日: 第1、第3月曜

2009年05月09日

木樽(タル)を作るには竹は不可欠です

DSC06835.JPG

筍(たけのこ)の時期です。
この時期には多くの虫が竹を食べにやって来て卵を産んで行くので伐採出来ません。

春ですが紅葉のようなので「竹の秋」あるいは「竹秋」と謂います。
竹は古くから十干十二支の最小公倍数である60年、あるいは倍の120年目に
一斉開花し、群れ全体の根も全て枯らして、その生涯を終えるという いさぎよく不思議な植物です。
天寿を全うするので、松竹梅のひとつに選ばれ、目出たい物の象徴と言えましょう。
木製樽(タル)に使う竹は真竹ですが、10年生までの物を使います。

昭和45年に、西日本で大開花があり、枯死しました。
和漢三歳圖繪」によれば「謂之竹米以為荒年之兆」とあり、凶作の前兆といわれておりましたが、この年は稀に見る豊作で故事が違っていた事になります。

掘り当てし 井戸の深さや 竹の秋        長谷川零余子

2009年05月11日

酒樽(タル)屋が観に行った映画

IMG_0001.jpg

「メイプルソープとコレクター」という邦題ですが、原題は[BLACK WHITE+ GRAY]
これでは何の事か判らないので、こんな風に訳したのでしょう。
アメリカでの副題も「メイプルソープとワグスタッフの肖像」。

樽(タル)屋の女房が行くと言うので、期待せずに一緒に行ったら、思いのほか秀作でした。
「完璧の瞬間」Perfect momentを追求したメイプルソープ(1946-1989)の写真が目当てで、観に行くと意外な内容に驚きます。

彼が死んでから20年も経つのですね。
主人公は彼のパトロンであり、恋人であった、SAM WAGSTAFFなのです。
それを、ふたりの間にいたひげ面のPATTI SMITHたちが語るというドキュメンタリーです。

二人は同じ11月4日生まれ。当時のN,Y,で活躍していたウォホール等と共に多くのアーティスト同様、共にHIVにより死去。
現在だったら、もう少し治療方法が進歩しているので、死に至るまでにはならなかったでしょう。

Mappelethorpeの写真がモノクローム中心である事や、Wagstaffが1964年に企画した[Black,White and Gray]という展覧会の名称も関係あるでしょうが、BLACKやGRAYには「お金」という意味が隠されているに違いありません。

元になった資料は
_パトリシア・モリズローの著作、監督はジェイムス・クランプ

2009年05月13日

酒樽(タル)屋は酒樽(タル)を作る

DSC08985.JPG

長い連休が終わりますと、急に暖かくなってまいりました。
しかも,雨が多く、湿気があります。このまま梅雨に入るかも知れません。
この時期が酒樽(タル)屋にとって、一番困った季節なのです。
新酒が出尽くして、酒樽(たる)の出荷が鈍るのに、竹の箍(たが)や蓋(ふた)の裏に、
黴(かび)が発生し易く、ビニール袋は大敵なのですが輸送上、やむを得ません。
完成した酒樽(タル)を余り密封して保管してはいけない時候なのです。
かといって、裸で樽(タル)を放置しますと、この後やって来る夏の高温と日差しに、負けて
一気に乾燥してしまうから困ったものです。
倉庫にある酒樽(タル)の管理に苦労します。

昔は湿度の高い「つゆのあとさき」には注文品以外の酒樽(タル)は決して作らず、作り置きしなかったものです。
結婚式に使う鏡開き用酒樽(タル)以外には殆ど、酒樽(タル)の受注は途絶えるのですが、
稀に何かのイベント用に沢山の酒樽(タル)を出荷することが最近は多くなりました。

2009年05月14日

酒樽屋のお八つ  その弐拾弐 蘇格蘭製ビスケット

DSC09139.JPG

単なるスコットランド製のビスケットです。1830年創業のパン屋さんCAMPBELLSのペチコートテールですが、

DSC09090.JPG

どこかで見た事があるなあと思って、倉庫を探すこと一時間。
ようやく奥の方で埃をかぶっていた、
丸竹を割る道具「菊割り」、通称「蜘蛛の巣」を見付けました。
樽(タル)の箍(タガ)を割るには向いていません。
もっと短い、一尋(ひろ)位の長さの素直な竹を割る時に使います。
即ち、最近見かけなくなった壁下地に使う竹を割る際に使っていた物です。
今は壁紙が殆どで、漆喰を使うときも下地に竹を組む事は稀で、我が家でもボードです。
樽(タル)の箍(タガ)に使った残りの短い先の方は、こうして竹下地に使っておりました。
更に先の部分は帚(ホウキ)の柄に使い、太い部分は竹杓に、残った端材で竹釘を作るのです。


2009年05月15日

酒樽(タル)屋が阿波踊り用の樽(タル)太鼓を作りはじめる

DSC09153.JPG

毎年、同じなんですけれど、5月〜6月はタル太鼓の注文が殺到します。
各地の学校ではタル太鼓への予算の関係もあり注文が今頃になります。
また秋にある祭のためには、今からタル太鼓の練習をしておかねばならない訳です。

夏祭り用に使うタル太鼓も今頃から注文が入ります。
阿波踊りや、よさこい、八木節等の各祭りにタル太鼓は欠かせない物になってきました。

酒樽屋 阿波踊り用のタル太鼓を配達する

DSC09156.JPG

タル太鼓は近所の学校や幼稚園からの注文も多いので、タル屋自ら配達することも屢々。
阿波踊りに使う樽(タル)は、もっと小さいものなのですが、
今回は一斗樽(タル)を納めました。

阿波踊りは四国だけの催しだとばかり思っていたのですが、東京の高円寺や三鷹など、
各地で盛んになってきています。


2009年05月16日

吉野杉を使った木樽の作り方 その7 底を入れる

DSC08962.JPG

底が入る部分を中心に、「丸かんな」で側の段差を整えます。
この作業を怠ると、段差から洩れる原因になるので、重要な工程です。
結構、力と注意力を必要とします。

DSC08964.JPG

あらかじめ、用意しておいた、「底」を所定の位置にはめ込みます。
余り浅い所に入れると容量が足らなくなりますが、
樽太鼓などの場合は浅い程、堅い箍(タガ)を入れる事が出来ます。
もし、底が大き過ぎて所定の位置に納まらない場合は、周囲に銑(セン)をかけて、
底を小さく加工します。

DSC08976.JPG

叩き棒を使って底を水平に、且つ水平に叩き込みます。
余り強く叩くと杉の木ですから、底が割れてしまいますし、緩いと作業の途中で底が抜けてしまいます。
左手に持った、深さを示す「物差し」で測りながら規定の場所まで叩き込みます。


樽(タル)屋の好きなGIRO D' ITALIA真っ最中|

Giro_dItalia_stage15.jpg

5月は恒例のイタリア一周レースです。
今年で100回記念の筈。
ヴェネチアからスタートしたレースも、もう第8ステージです。
タル屋はJスポーツと契約しようとしていて、間に合いませんでした。

ランス アームストロングがマシーンの盗難や自己の骨折などの災難を乗り越え復帰している事が話題。成績は?

2009年05月17日

酒樽(タル)に入れる清酒をつくるには米と水が不可欠

DSC07202.JPG

昔の一俵です。基本的に酒樽(タル)菰(コモ)の巻き方に似ています。
かつて、物の梱包はすべて、藁(ワラ)を使い、こんな施し方をしていたのでしょう。
酒樽(タル)の菰(コモ)巻きにだけ、その名残があるのかも知れません。
一俵が約30キロ。
今は紙袋に20キロ入で届きます。

DSC09171.JPG

必ず「山田錦」とは限りません。
それに、この米は清酒専用なので炊いて食べても決して美味しくはないのです。

2009年05月18日

酒樽屋のお八つ  その弐拾參 カヌレ

DSC08947.JPG

パン屋さんMOISANのカヌレです。
大阪そごうが8月に閉店するので、いつまで美味しいパンが食べられるのか心配です。
カヌレはともかく、ここの細めの「フリュート」はパリのバゲットの味を持っているからです。少々値段は高めですけれど。

DSC03073.JPG


大阪市中央区心斎橋1丁目8番3号
そごう心斎橋本店B1
Tel.06-6244-5488
営業時間:10:00-20:30
不定休

2009年05月19日

酒樽(タル)屋、創業190年に感謝 送料無料

%E7%81%98%E4%BA%94%E9%83%B7.jpg


[たるや竹十]では創業190周年を記念して、お買い上げ1万円以上の方は送料無料の感謝キャンペーンを行っております。
(7月末まで。一部地域を除く)

あらゆる容器が樽(タル)や桶(オケ)であった江戸時代から、
明治維新、数々の戦争、水害そして大震災などを経て、
こうして樽一筋に200年近く続けて来る事が出来た事は、
ひとへに皆さまのお陰であると深く感謝いたしております。
これからも、ますます精進していく所存でおりますので、
どうぞ 御贔屓にお願い申し上げます。

2009年05月20日

樽屋の好きなレースでイタリア中がピンク色に染まる

2009_giro_d_italia_stage10_danilo_di_luca_maglia_rosa_lpr_brakes_attacks.jpgcyclingfansより

ここでリアルタイムに近い時間に観戦する事が出来ます。

各ステージの優勝者のみ「Maglia Rosa」というピンク色のジャージを着る事が出来ます。


2009年05月21日

酒樽(タル)屋が、昔つくった醤油樽(タル)

DSC09206.JPG

多分、昭和30年代の物かと思われます。
清々しい青竹も、およそ30年以上経ちますと樽(タル)の箍(タガ)も飴色になってまいります
この飴色がいいと良いと仰る方もおられます。

昭和40年前後だったと思います。
醤油業界が木樽詰を全国一斉に廃止し、全てを一升瓶に移行したものですから、
それまで使っていた赤味側の行き場がなくなりました。
かつて、清酒樽は甲付樽、醤油樽は赤味樽とはっきりと分けて作っていたものです。
冬は清酒樽、夏は醤油樽を作るという風に、なにもかも樽の業界はバランスが取れていました。
この写真の古い醤油樽が何故、今「たるや竹十」に戻って来ているのか謎ですが、
醤油樽は酒樽と違って呑み口がダメになると、別の場所に又「呑み穴」を開けて、
長く使ったものです。それでもダメな樽が修理の為に戻って来たままかと思っていましたが、
鏡の木栓の径が違うので別の樽屋さんの物かも知れません。


嫌がる清酒メーカーに懇願して、当時の特級酒(現在の特選など)を甲付樽に、
一級酒(現在の上選など)と二級酒(現在の佳選など)を赤味樽に詰めるように
変更してもらいました。
当時、頑として要請を受け入れてくれなかった蔵元が今でも甲付樽だけを使っております。

大きなウエイトをしめていた醤油樽が無くなるということは大変な事件でした。
「たるや竹十」でも、工場の南に広がっていた浜から「天神丸」という大型船に醤油樽を満載して小豆島へ定期的に運んでおりました。
「天神丸」の船長さんは優しい人で、お小遣いの他に小豆島特産の珍しい食べ物を樽職人達に配っていました。
子供だった僕たちにも御菓子を配ってくれるのが楽しみでした。
毎月、僕が電話の取り次ぎをしていましたが、船長さんの名前は失念してしまい天神丸という船名だけ鮮やかに覚えています。

樽だけではありません。樽職人も仕事を失い、小豆島だけではなく、
岡山の玉島や関東の野田から多くの職人が「たるや竹十」にやって来ました。
彼等は殆ど一斗樽しか作る事が出来ませんでしたので、
「二番職人」と呼ばれて一段下に見られ、待遇も違っていたので、かわいそうでした。

職人だけではありません。小豆島や千葉県の野田にあった樽工場の廃業に伴い、
そこの機械や道具も、まるごと「たるや竹十」や他の樽屋さんが引き取りました。
岡山の玉島出身や広島出身の職人さんも「たるや竹十」の二階に住み込んでいたのを覚えています。
各地の樽職人が集まりますから、それぞれ作り方も違い、もめ事の原因にもなりましたが、
実は互いの技術交換になって、結局全体の技術向上になっていたのだと思われます。


「樽は手作りでないと樽ではない」と機械導入を全員で反対する職人達の意気に反するので、
機械類は近所の別の業者に全部運び、そこで機械樽を作ることにしました。

90歳を過ぎても職人としての矜持から、決して輪締機を使わず、
手締めしていた職人さんは一番見事な仕事をしておりましたが、96歳の春でした。
「もう自分で納得いく樽を作る事は出来ません」と言って道具を弟子に譲り、一週間後に亡くなりました。
「たるや竹十」の樽は作った職人の責任の所在が判るように記号を底にイロハで印を押しておりました。
「へ」の印の樽を作り続けたTさんは尋常小学校に通いながら樽屋に見習いで入り、
苦労して腕を磨き、最期まで見事な職人人生を遂げたと思います。

2009年05月22日

酒樽(タル)屋が、つくる最小の蓋(フタ)

DSC09197.JPG

酒樽(タル)の蓋(フタ)に使う、木栓(天星)ではありません。
お客様の依頼で直径3寸の蓋(フタ)を作って欲しいという依頼でした。
「たるや竹十」が使っている機械類では、本来は不可能なのですが、敢えて挑戦しました。
やはり、専用道具を使わなかったので、やや歪(イビツ)です。
ちなみに下に写っているものは四斗酒樽(タル)の底です。

これは何であるかと言うと焼酎を醗酵させるのに、
これまた特注で作らせた焼締めの壷の口に載せる蓋(フタ)なのです。
この特注壷には下に焼酎を出す穴を開けたのですが、そこへ入れる蛇口型のものが存在せず、
考えた末、酒樽(タル)の呑み口を利用されたのです。

2009年05月23日

酒樽(タル)屋がつくる不思議な樽(タル)、阿波踊り用

DSC09203.JPG

二つとない、不思議な樽(タル)です。
他の樽(タル)屋さんが見たら、きっと笑うことでしょう。

「たるや竹十」は基本的に全ての商品がオーダーメイドですから、
胴輪を所定の位置ではなく、上の方に入れて欲しいという依頼だったので、言われるままに入れたのですけれど、
どうも巧く出来ないので、二本も入れたら、こんな不思議な樽(タル)が出来上がりました。
これはこれで、面白いものです。どこにも売っていない樽(タル)です。
阿波踊りの際に腰に付けて使うもので、専用の金具に合わせるため、
こんな風に改造する事になったのです。

同時に見せてもらった阿波踊り専用道具店が作った太鼓は、桶屋さんが作った物ですから、
仕事は丁寧なのですが、繊細過ぎて阿波踊りのパワーに付いて行けそうもない美品でした。
柾目の桶は、どう考えても阿波踊りの樽太鼓には向いていないと思います。
それに天板になる蓋(フタ)を南洋材に替えているので、周囲の杉との相性が悪く、
全く音が出ません。
外材と内地材では乾燥の仕方が違うので、同じ物に異質な材料を使わない方が良いのです。
阿波踊りに関しては、軽さも要求される事ですから、樽屋にとっては今後の課題です。

写真の右側に見えているのは一斗の漬物樽(タル)。
四斗酒樽(タル)の上に乗っています。

桶(オケ)屋さんは、もっと様々な種類の物をこしらえる事が出来ますが、
樽(タル)屋は高さが一尺八寸まで、直径は五寸まで等の制限はあるものの、
毎日、限界に挑戦しております。

最近、特に多くなって来ましたが、不思議な注文をもらうと、
俄然、はりきってしまいます。

今年も阿波踊りや八木節など夏祭りに使う樽(タル)太鼓の練習の時期になって来ました。

2009年05月24日

高瀬川の柳 

DSC09367.JPG

高瀬川といえば、「柳」だろうと思っていたら、
「プレート」によれば、この木屋町の柳は道路整備の為に一度消えた「銀座のヤナギ」を復活させた東京の有志の方々から、
かつての恩返しにと寄付された柳を平成8年に植樹したものだそうです。

「銀座のヤナギ」の親は六角柳と言われ、京都と縁の深い物だそうです。
銀座の柳の親らしいのですが、六角柳は縁結びの柳で有名なのですね。
それに「銀座」という名称と伏見も何か関係があるそうです。
少なくとも、都から伏見に続く高瀬川を舟に樽(タル)を積んで酒を運んだ事は事実です。

2009年05月25日

酒樽屋の友人の個展 梅木英治展

DSC09348.JPG

樽屋の古い友人、梅木英治君の個展が京都、寺町のライト商会の二階でありました。
またまた、最終日に出かけたのですが、必ずいる筈の本人がいつもの様にいない。

大作の油彩、見事でした。
仕方がないのでライト商会一階店舗を見ていたら、かいちの絵葉書のデッドストックが大量に、しかも一枚200円!
裏面も戦前の風合いに経年の黄ばみ、ただ紙質が..............

お店の女性に訊いても「よく判らない」という返事。
近所の有名な土産物屋さんの件もあるので、もしやと思いじっくり見ると、やはり精巧に作られた復刻版。
冷静に見たら大きさが違う。

その足でアスタルテ書房に立ち寄り、この話をすると佐々木君も前夜、同じ思いをした由。
昨年、京都の大学で展覧会をした折の複製品を更にプリントしたのではないかと言う結論。
そんな、掘り出し物が地元京都にある訳ないですよね。

2009年05月26日

古いウヰスキィの樽(タル)の蓋(フタ)

DSC09383.JPG

多分、百年位前の洋樽(タル)の蓋(フタ)です。若くても60年は経っています。
還暦ですね。
洋樽(タル)は和樽(タル)と違って、フタと底に同じものを使います。
前にも紹介しましたが、これは某ウヰスキィメーカーがスコットランドから中古を輸入し、
充分使った後、更にベトナムへ送るというグローバルな,リユースの途中で「竹十」が1コンテナ分譲ってもらったものです。
樽(タル)そのものは、余りに嵩張るので、方々に差し上げて残りは処分してしまい、
今は蓋だけが沢山残っております。
最近、ウヰスキィ樽材を使って家具を作ることが一般的になり、入手が困難になってしまいました。
蓋(フタ)は外に放置しているのですが、昨日一部を切り取って鉋(カンナ)をかけると、
やはり、未だ微かにモルトの甘い香りが..........
でも一瞬です。直ぐに香りは消えます。
一番驚くのが、古材一般に言える事だけれど、一鉋かけると新材が出現することです。
写真でも、左の大きい方は何年も風雨に晒されたもの、右の木片は切断して、鉋をかけたもの。
接ぎには金釘を使っています。
見違えるように変身します。
これは何をしているのかと言うと、「竹十」の樽(タル)作りに使う道具は、この樫を加工するのです。

蓋(フタ)を原型の丸いまま、テーブルの天板にされる方もいらっしゃいます。

2009年05月27日

酒樽(たる)屋の蔵から、昔つくった樽(たる)や桶(おけ)が色々出て来る

DSC09387.JPG

これは水を運ぶための「桶(おけ)」です。
よく混同されるのですが、樽(タル)ではありません。
かつて、一対の桶(オケ)を天秤棒にぶらさげて、よく川や海に水を汲みに行ったものです。

戦後すぐの物資不足の時代には樽の材料を供給してくれている奈良県吉野郡方面へ
御礼の意味を込めて大量の「肥桶」も送っていたそうです。

何にせよ液体の輸送といえば、かつては何をおいても、樽(タル)と桶(オケ)だったのです。
各デパートのワンフロアが桶類ばかりという時代もあったことが古い写真集等を見ていると判ります。

産湯を使う盥(たらい)から棺桶に入るまで、
かつて、ひとの人生は桶(オケ)に始まり、
桶(オケ)で終わるという木製容器人生だったのです。
生きている間も「おひつ」に入った御飯を食べ、木の浴槽に木の風呂桶を持って入り、
醤油、酢、酒等は全て酒屋へ通って樽(タル)から少しずつ出して来て暮らす毎日でした。

昭和の終わりにプラスチック製品が登場した事により、一気に桶(オケ)樽(タル)は
市場から姿を消しました。
確かに木製樽はメンテナンスが面倒です。化学製品は、その点は楽ですし安価です。
でも、愛情が生まれる道具じゃありません。

写真の桶(オケ)も下部の箍(タガ)が傷んでいます。
昔だったら、前にも紹介した「輪替屋」が修理してくれたものです。
そういえば、穴が空いてしまった鍋を修理する「鋳掛屋(いかけや)」さんも見掛けなくなりました。
ラオのすげかえ屋(キセルの修理屋)なんて、とっくに消えた風物ですね。

日本にも、最近まで道具を修理しながら、大切に使うという立派な文化が残っていたのですが、
化学製品の出現と同時に「安い物を気軽に買って、使い終わったら捨てる」という傾向に一気に変わってしまいました。

ようやく、環境の問題も含めて、木製の道具の良さを再認識して下さる方々が増えて来ましたが、
少々、遅かったのです。
たくさんの職人たちが持っていた優れた技術の伝承が間に合いませんでした。
今では、桶(おけ)屋の仕事も樽(タル)屋が代りに受け継がざるを得ませんし、
それが樽(タル)屋の使命だと考えております。
世話のやける木製樽(タル)ですが、使えば使う程、かわいくなってくるものです。

2009年05月28日

アメリカの「タル」、タル・ファーロウ

TAL_NEW.jpg

ジャズ界で「タル」と言えば、今は、タル・ウィルケンフェルドですけれど、
実力ではギブソンを自在に操る不世出のギタリスト、タル・ファーロウ(Tal Farlow)なのです。(1921年ー98年)
ファーストアルバムのタイトルは、ずばり「タル」。

「蛸」とあだ名された彼の大きな手から流れる力強いフレージングと
比類ないスウィング感で聴く者を惹きつけるタルのギターは、
32才で急逝した悲劇の天才エディ・コスタのピアノと相まって、
1956年に既に完成され尽くしています。

ジャズギターといえば、ウェス・モンゴメリィやケニー・バレルを想起しますが、
タルのスピード感の前には色褪せてしまいます。
ケニー・バレルのバレルは「樽(タル)」のBarrelではなく、
残念ながら、Burrellでした。

2009年05月29日

深夜の酒樽屋 で杉樽(タル)が、さみしく出番を待つ

DSC09435.JPG

仕事を終えて、鍵をかけた後の酒樽屋は真夏でもひんやりして、不思議な雰囲気です。
週明けに出荷する予定の酒樽だけが静かに出番を待っています。

かつて樽屋は杉樽(タル)や杉材が乾燥しないように、必ず北向きに造りました。
背表紙が日焼けしないように北向きに建てる古書店と同じ理由です。

商品を第一に考えているので、中で働く人間は その犠牲にならざるを得ません。
今は、古書店には空調がありますが、樽屋に空調は厳禁です。
冬は恐ろしい寒さですが、汗だくになるので休憩時間以外は案外暖かく、
この冬は小さな電気ストーブひとつで乗り切りました。
決して石油が高騰したからではありません。暖冬だったからでしょう。
これから夏にかけては南向きの日当りの良い工房よりも少しは楽に仕事が出来ます。

2009年05月30日

木樽で味噌づくり

DSC09433.JPG

樽屋竹十の味噌樽(タル)には落し蓋(フタ)と上蓋(フタ)の二枚が付いています。

寒い頃に仕込んだ味噌がそろそろ熟成して来る頃です。
ところが、スコブルうまくいっている方もいらっしゃいますけれど、
残念ながら、そうでない方も、おられます。

こちらは樽(タル)屋でして、味噌や漬物に関しては素人なので、近所の味噌作り名人に聞いて参りました。
(どこの町内にも未だ一人や二人は名人が残っております、数年後は判りませんが)

名人の話では、もし、表面に黴は表面が発生していてもスプーン等できれいに取り除けば、
内部は無事ではないかという事です。
大豆を炊くときの水の量が多過ぎて、樽(タル)の中で水が浮いて来ているようなときは、
一旦、全部外へ出し、味噌玉の塊を和紙で包んで水分を吸い取り、ふたたび樽(タル)に戻す。

黴は嫌なものですが、「醗酵」には付き物です。白い黴はアミノ酸なので無害ですけれど、
赤、青、黄などの色の付いた黴は全部排除しなければなりません。

名人も言われていましたが、地球の温暖化で夏が異常に暑かったり、
長期の低温が欲しい冬が暖かかったり、雨期が長過ぎたり、
温度や湿度の変化が毎年違うので、いつも同じレシピでは出来ないそうです。
更に住宅環境も随分変わり、マンション等の中で、年中ひんやりした、暗い場所を探す事が今は大変です。
それに、ほんの数十年前には無かったエアコンが今では殆どの家庭に設置されています。
エアコンの付いた部屋に樽(タル)を保存する事は厳禁です。
真冬の寒くなければならない時に、暖かったり、夏が涼しすぎると上手く醗酵しません。
それにも増して、エアコンは24時間作動させておくことは無いもので、
人がいないときには電源を切る訳ですから、その温度差を大きいものです。
デパートに夏期、樽(タル)の貸し出しなどしますと、電源を切る深夜の高温と昼間の効き過ぎているような冷温との毎日の繰り返しに一週間も経たない内に、すっかりダメになっています。

味噌玉を入れる前に、樽の内部と蓋の裏側を水できれいに洗った後、廉価な焼酎を刷毛で塗って殺菌するのも一つの方法です。

名人から聴いて来た「コツ」

1、他のものは廉価なものを使っても塩だけは最高の物をたっぷり使う事。
  日本に塩田は一度完全になくなり、跡地は殆どコンビナートに変わりました。
  最近は本当の塩を作ろうという目的で、採算が合わないながらも作り始めた方々がいて、
  嬉しくなります。それでも600gで800円というと塩としては高価に感じます。
  「赤穂」とか「伯方」と表示された塩が、くせ者です。両地に塩田は全くありません。
  塩を買う時には必ず裏の原産国表示を確認して、国産の物をもとめて下さい。
2、炊いた大豆は、しつこい位よく撹拌すること。
3、樽に味噌玉を入れる時に絶対に空気を混入させない事。
4、充分な重しをする事。前述の逆の外国産の安い塩を重りにすると良いらしい。
  1キロ以上の重量が均一に味噌にかからねばなりません。
5、樽の保存に冷暗所を選ぶ事。日の当たる場所は厳禁です。
  夏でも温度が低く、暗い場所に置かねばなりません。
  家の中で最も温度が低い場所を選ぶ事。
6、味噌玉と押し蓋(フタ)の間に隙間を作らず、
  清潔な晒を挟んで空気を入れないようにする事。
7、竹十の味噌樽の場合は底部の▽型の溝を先ず、味噌玉で埋めてしまう事。

先達から以上のような回答が返って参りました。
この条件を全て満たすことは現代生活では大変困難ですが、
少しでも近い方法で味噌作りに挑んで下さい。

尚、日本は、南北に長い国です。
各地方によって微妙に作り方は変わりますが、基本はおなじでしょう。
仕込む時期が本来は真冬の筈が、夏に仕込む地域があったりして驚かされます。


*追記 お客様からこのようなコメントをいただきました。
味噌づくりに詳しい方がいらっしゃいましたら、また教えてくださいね。

2009年05月31日

酒樽屋の休日 枇杷を愛でる

DSC02305.JPG

今年も、「枇杷(びわ)」の季節になりました。
この過ごし易い時期は樽(タル)屋の仕事が比較的減り、たまっている雑用を片付けます。

日曜ですが、某蔵元に呼び出されて、夏に企画されているイベントの打ち合わせでした。
庭の灯籠から、枇杷(びわ)の実がのぞいております。

昔は、どの家庭の前庭にも枇杷の木があって、子供の頃に友達と木に登って無断で食べて、
よく叱られたものです。

枇杷(びわ)Erriobotrya Japonicaは文献上は奈良時代にも見えますが、本格的に中国から渡来したのは、
樽(タル)の技術が確立した数十年後の天保年間ですから比較的新しいものです。

殆ど、果実を食べますが、今年は冬が長かったので関西では未だ早いようです。
そのまま食べる他に果実酒にしたり、葉は薬用になります。
材は大変硬いので、杖や木刀に使います。
樽(タル)には使えません。

「桃栗三年柿八年」は人口に膾炙しておりますが、その後に「枇杷は早くて十三年」と、
続く事は余り知られていないようです。

樽(タル)屋の近所に琵琶町という町がありますけれど、
琵琶はもっと古くイスラム圏から渡来した、弦楽器です。

たるや 竹十

  • たるや 竹十



  • 写真及び記事の無断転載はご遠慮下さい
  • About 2009年05月

    2009年05月にブログ「酒樽屋日誌」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

    前のアーカイブは2009年04月です。

    次のアーカイブは2009年06月です。

    他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

    Powered by
    Movable Type 3.35